人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(17a)ジョン・コルトレーン(ts)

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John Coltrane(1926-1967,tenor & soprano sax)。この人は遅咲きの大器晩成として知られ、初の自己名義のアルバムは30歳の時だった(「コルトレーン」1957・画像1)。ディジー・ガレスピーのバンドでデビューし、セロニアス・モンクのバンドで薫陶を受け、55年からはマイルス・クインテットに入団してようやく注目された新人だった(マイルスは同い年、すでにテナー・サックスの巨匠になっていたソニー・ロリンズは4歳下だった)。
このデビュー作の前にコルトレーンにはアルバム30枚の参加作がある。下積み時代はプレスティッジ・レーベルから中堅アトランティックに移籍する58年まで続き(プレスティッジだけで4年間に参加作・自己名義併せて33枚を吹き込む)、マイルスから独立し自分のバンドを持ったのが新興レーベル・インパルスの看板アーティストに迎えられた61年だった(アトランティックには3年間で8枚)。そして67年の肝臓癌による急死(実質的には過労死といってよい)まで30作の正規録音、ほぼ同数の発掘録音を残す。特に65年などはこの年だけで18枚を数える。

助っ人時代の多作経験だけとも言えない。プレスティッジ時代の自己名義作は他レーベル併せて20枚ほどあるが、ブルー・ノートへの「ブルー・トレイン」1957(画像2)がオリジナル曲集なのが例外で、この時期の名作「ソウルトレーン」1958(画像3)にしてもほとんどがスタンダード曲集だが、アトランティック時代にはオリジナル7:スタンダード3くらいになり、インパルス時代は例外的なスタンダード曲集でしか既成曲は取り上げず、全曲オリジナルが基本になる。
当然レコード会社も年間2~3枚しか発売できないから、どのレーベルも移籍後発表・没後発表のアルバムが正規録音の1/3を占めた。その上発掘録音が加わり、現在までに正規録音の自己名義作60枚、参加作・発掘録音を含めると200枚ほどになる。

実働12年で、録音だけでこれだけあるのだ。憑かれたように働いていた。晩年は末期癌宣告すら受けていたが66年の来日公演(ビートルズと同じ年)では2時間で3曲のステージで観衆を唖然とさせる。誰もがこれら初期の名作から抱くコルトレーンの演奏ではなかった。あまりに変化の激しい人なので、時代別に追っていきたい。