人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジョン・コルトレーン John Coltrane - トレーニング・イン John Coltrane with the Red Garland Trio (aka Traneing In) (Prestige, 1958)

ジョン・コルトレーン - トレーニング・イン (Prestige, 1958)

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ジョン・コルトレーン John Coltrane - トレーニング・イン John Coltrane with the Red Garland Trio (aka Traneing In) (Prestige, 1958) Full Album : https://youtu.be/-eLj4Ln4PeA
Recorded at The Van Gelder Studio, Hackensack, New Jersey, August 23, 1957
Released by Prestige Record Prestige PRLP 7123, March 1958
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Reissued as "Traning In" in 1961, later stereo reissued as Prestige PR 7651 in 1969.
Note : Coltrane's second full session as a leader, recorded for Prestige on 23 August, 1957 but only issued early in 1958 (date according to Billboard of 31 March 1958). Originally released as "John Coltrane with the Red Garland Trio" with an abstract cover, the album was reissued three years later as "Traneing In", the cover now showing a portrait of Coltrane taken by Esmond Edwards.

(Side A)

A1. Traneing In (John Coltrane) - 12:34
A2. Slow Dance (Alonzo Levister) - 5:28

(Side B)

B1. Bass Blues (John Coltrane) - 7:48
B2. You Leave Me Breathless (Ralph Freed, Friedrich Hollaender) - 7:25
B3. Soft Lights and Sweet Music (Irving Berlin) - 4:41

[ John Coltrane with the Red Garland Trio ]

John Coltrane - tenor saxophone
Red Garland - piano
Paul Chambers - bass
Art Taylor - drums

(Original People "John Coltrane with the Red Garland Trio" LP Liner Cover & Side A Label)

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 ジョン・コルトレーン(テナーサックス・1926-1967)がマイルス・デイヴィスのバンド在籍中にソロ・デビューしたのはニューヨークのインディー・レーベル、プレスティッジからで、プレスティッジと契約していたマイルスがメジャーのコロンビア・レコーズに移籍したためにマイルスのバンド・メンバーとのソロ契約をしてスター・プレイヤーの埋め合わせとする意図からでした。コルトレーンのプレスティッジとの専属契約期間は1959年にアトランティック・レコーズに移籍するまでの1957年~1958年の2年間でしたが、その間に他社への録音や共作も含めて、コルトレーンのアルバムとして以下のリストに発売順にまとめた16枚のアルバムが制作されています。
●Prestige Era (1957-1958)
1. 1957-Late; Coltrane (rec.1957-05-31)
2. 1958-02; Blue Trane (rec.1957-09-15)*Blue Note Records
3. 1958-03; John Coltrane with the Red Garland Trio / Traneing In (co-leader with Red Garland) (rec.1957-08-23)
4. 1958-Summer; Tanganyika Strut (co-leader with Wilbur Harden) (rec.1958-05-13, 1958-06-24)*Savoy Records
5. 1958-10; Soultrane (rec.1958-02-07)
(Released after Prestige Era Albums)
6. 1959-02; Jazz Way Out (co-leader with Wilbur Harden) (rec.1958-06-24)*Savoy Records
7. 1961-03; Lush Life (rec.1957-05-31, 1957-08-16, 1958-01-10)
8. 1961-12; Settin' the Pace (rec.1958-03-26)
9. 1962-10; Standard Coltrane (rec.1958-07-11)
10. 1963-00; Dakar (rec.1957-04-20)
11. 1963-03; Kenny Burrell & John Coltrane (co-leader with Kenny Burrell) (rec.1958-03-07)
12. 1963-09; Stardust (rec.1958-07-11, 1958-12-26)
13. 1964-04; The Believer (rec.1957-12-20, 1958-01-10, 1958-12-26)
14. 1964-08; Black Pearls (rec.1958-05-23)
15. 1965-05; Bahia (rec.1958-07-11, 1958-12-26)
16. 1966-01; The Last Trane (rec.1957-08-16, 1958-01-10, 1958-03-26)
 この発売年月日からでもプレスティッジが契約期間中に発売したのが1、3、5の3枚だけで後はコルトレーンの出世を待って8年後の1966年(コルトレーン逝去の1年半前!)までに残りのアルバムを徐々に発売していったせこい事情がわかりますが、プレスティッジとの契約中にコルトレーン単独、または共作名義だけで2年間に16枚のアルバムがある上に、参加アルバムはマイルスのバンドからデビューした1955年~1956年の2年間で12枚、1957年~1958年の2年間では24枚を数えます。つまり1955年~1958年の4年間では52枚で年間13枚ペースですが、1957年~1958年の2年間では40枚ですから年間20枚という驚異的な録音量が判明します。これだけアルバムがあると逆にコルトレーンの楽歴で重要なアルバムと過渡的なアルバムの軽重の差も現れきますが、上記のコルトレーン名義のアルバム以外にも、1955年~1958年の間にマイルスのバンドにメンバーとして残した参加アルバムはコルトレーン自身のアルバムと匹敵するか、またはそれ以上にコルトレーンにとっても記念碑的作品になっています。

 コルトレーン名義の初アルバム『Coltrane』が1957年5月録音、1967年7月の肝臓癌による40歳の急逝に先立つ最終アルバム『Expression』が1967年2月・3月録音なので、コルトレーンのソロ・キャリアはちょうど満10年でした。公式アルバムは約45作、プレスティッジ時代(1957年~1958年)を初期、アトランティック時代(1959年~1960年)を中期、インパルス時代(1961年~1967年)は円熟期として2期または3期に分けることができるでしょう。プレスティッジ時代の代表作を選ぶなら初アルバム『Coltrane』、ブルー・ノート・レコーズに単発契約で録音された『Blue Trane』、プレスティッジ作品の秀作としては『Soultrane』という定評があります。プレスティッジはちゃっかり出来の良いセッションから録音順に発売していったので、録音後すぐに発売された『Coltrane』『John Coltrane with the Red Garland Trio』『Soultrane』の出来が良く、コルトレーンがアトランティックに去った後で発売されたアルバムは『Lush Life』『Settin' the Pace』『Standard Coltrane』あたりまでは統一セッションから編集されたアルバムになっています(『Lush Life』はやや複雑な成立ですが、発売時点では膨大な未発表録音があったのでコンセプトを立てた編集がされています)。皮肉なことにプレスティッジ時代ではプレスティッジの全作品よりもブルー・ノート盤『Blue Trane』が傑作とされているのは、ブルー・ノート社はアーティストの意向を汲んだ丁寧な制作で定評があったのでコルトレーン自身に力作を作る意欲があったからでした。プレスティッジではオリジナル曲の版権を買い取っていたので、コルトレーンはオリジナル曲を録音を渋っていました。一方ブルー・ノート社はオリジナル曲をきちんとアーティストの版権に登録する方針でしたからコルトレーンもオリジナル曲の提供を惜しみませんでした。またリハーサルなし・当日打ち合わせのみのジャム・セッション式な録音で良しとするプレスティッジに対してブルー・ノートではプレスティッジではできない念入りな制作がされており、ブルー・ノートはリハーサル日を設け、リハーサルにもミュージシャンにギャラを支払ったので存分にオリジナル曲のアレンジを詰めることができました。

 ただし『Blue Trane』はいかにもスタジオで作りこまれた重厚さがこの時期のコルトレーンには例外的で、粗製濫造で薄利多売の量産レーベルらしいプレスティッジ作品の良くも悪くも実質的にスタジオ・ライヴのフットワークの軽さが、やっつけ混じりの面白さになっているのとは異質な感じを受けます。当時の黒人ジャズのインディー・レーベルは黒人ジャズマンの搾取労働によって繁盛していました。白人ジャズマンのアルバムは黒人ジャズマンのアルバムより売れましたが、いかんせんギャラが高かったという背景もありました。1957年~1958年の2年間で40枚ものアルバムに参加したコルトレーンも原盤権の買い取りではレコーディング収入だけでは生計が成り立たずライヴ収入が頼りでした。コルトレーンは1957年にはセロニアス・モンクの、1958年~1959年には出戻りのマイルスのバンド・メンバーでしたから独立してリーダーになった活動は1960年以降になりますが、もし1957年~1958年時点で自分のバンドを持って独立していたらライヴで聴けるサウンドは『Blue Trane』よりもプレスティッジの諸作に近いものになったでしょう。何しろマイルス・デイヴィスのバンドですらライヴのためのリハーサルなど一切やっていなかったのが当時の黒人ジャズでした。『Coltrane』は前回ご紹介したので、次作に当たる『John Coltrane with the Red Garland Trio』もご紹介しておくのは順当でしょう。

 ジャケットと原題を見て「コルトレーンにこんなアルバムあったっけ?」という疑問ももっともで、このアルバムは再発盤からジャケットを写真に差し替え、タイトルも『Traning In』に変えて、今では変更後のジャケット、タイトルの方が通りが良くなっています。ただし初めて世に出た時には『John Coltrane with the Red Garland Trio』と、レッド・ガーランド(ピアノ・1923-1984)との連名作あつかいのタイトルだったのは注意が必要です。コルトレーンはプレスティッジ時代のリーダー作ではコルトレーンのワンホーンにピアノ・トリオだけがバックのカルテット・アルバムが本作(1957年8月録音)、『Soultrane』(1958年2月録音)、『Settin' the Pace』(1958年3月録音)の3作あり、他はすべてトランペットやサックス、ギターなど共演者入りの5人以上の編成でした。カルテット作3枚はそれぞれアルバムごとに1セッションで録音されているので統一性の高い内容です。ガーランドのトリオはポール・チェンバースのベース、アート・テイラーのドラムスで、マル・ウォルドロン(ピアノ)やトミー・フラナガン(ピアノ)と並んでガーランドはプレスティッジの専属セッション・マスターでした。コルトレーンはウォルドロンやフラナガンのセッションにも起用されていますが、それらにはカルテット・アルバムはありません。かえってソロ・デビュー以前にポール・チェンバースの『Chambers' Music』1956.3(3曲のみ)、タッド・ダメロン『Mating Call』1956.10(全曲)で瑞々しいワンホーン・カルテット演奏を聴かせてくれます。プレスティッジのガーランド・トリオとのアルバムはよく練れており、4人中マイルスのメンバーが3人(1957年はコルトレーンはモンクのバンドメンバーでしたが)だけあって息は合っているしドラムスがテイラーなのもハード・バップにはうってつけなのですが、ことに本作は当初連名アルバムだっただけあって全体的にはコルトレーンよりもガーランド・トリオのコンセプトが強いアルバムです。

 録音はB2、B1、B3、A1、A2の順で行われたそうで、B1とA1はブルース、B2とA2はバラード、B3は猛烈なファスト・テンポのスウィンガーとバランスのとれた選曲です。楽曲スタイルごとに見ると、まずA1はAA'BA'形式の変型ブルースで、レッド・ガーランド・トリオだけの演奏が前半は延々続き、ベース・ソロを挟んで後半はコルトレーンのロング・ソロになるという構成で、テナー・ソロは見事ですが、アルバムの原題通りと言えばそれまでながらピアノ・トリオが長すぎるきらいがあります。B1のリフ・ブルースはA♭で、後のオリジナル曲「Cousin Mary」(『Giant Steps』収録)がやはりA♭のリフ・ブルースですが、このB1ではあまり使われないキーが面白いフレーズを生んでいます。スタンダードをファスト・テンポのスウィンガーに解釈したB3は同じアーヴィング・バーリン作の「Russian Lullaby」(『Soultrane』収録)に引き継がれます。そしてA2、B2のバラードですが、テナーサックスはテーマ吹奏だけでソロはピアノとベースに任せることで抒情的な効果を上げています。A2のエンディングはそのまま後年のオリジナル曲「Naima」(『Giant Steps』収録)に流用されます。B2のバラードとなると、テーマ吹奏だけでリズム・セクションにムードを委ねた空間性といい、悠然たる楽想といい、ルバートぎりぎりのテンポ感といい、これを推し進めた先に「After the Rain」を頂点とするインパルス時代の「Dear Lord」「Welcome」などの瞑想的バラードが控えていたのか、とコルトレーンの発想の原点が凝縮されているのには改めて感心させられます。ガーランド・トリオもブルース2曲の中庸を得たプレイ、B3の驀進するスウィング感などは手馴れたものでが、ガーランド・トリオはバラード2曲ではどうしても従来の4ビートから離れられないでいるのも感じられます。コルトレーンが完全にバンド全体のサウンドを掌握できるようになるには、やはりエルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)をレギュラー・メンバーに迎えたアトランティック時代後半からが本領発揮の時代とも改めて思い知らされる、まだ過渡期のアルバムながら後年のアイディアの萌芽が見える作品で、本作では全体を仕切るガーランド・トリオのコンセプトとコルトレーンのアイディアに齟齬が見られるのがその印象を強くします。しかしコルトレーンの場合には円熟期の重厚なアルバムの合間にこうしたアルバムを聴くと良い具合に肩の力が抜けるので、肩肘張らない初期の佳作としてこれもまた愛聴に耐える作品です。