人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(19)オーネット・コールマン(as)

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Ornette Coleman(alto sax,trumpet,violin)。セシル・テイラー(ピアノ)と共にフリー・ジャズ創始者とされる人だが、マイルス没後は革新性を保った大御所の筆頭になってしまった。レパートリーは全曲オリジナルで、モダン・ジャズではモンク、ミンガスに匹敵する作曲家という評価も定着した。かつての異端児が、今や堂々と主流の位置にいるかに見える。
だがオーネットの音楽は1958年のデビュー作「サムシング・エルス!!!」から変っていない。不規則な和声進行と拍節数、人の肉声に近い音色とイントネーション。翌年の第二作「明日が問題だ」からはオーネットはバンドからピアノを外す。上記の条件にはピアノは制約になる。そしてモダン・ジャズ・カルテットのジョン・ルイスに見出だされ59年ニュー・ヨーク進出、大センセーションを巻き起こす(半年間クラブを満席にしたという)。アトランティック移籍第一作「ジャズ来るべきもの」(画像1)はオーネット初めての大傑作だった。

この人の楽歴は55年あまりにおよぶので数回を使って紹介すべきなのだが、ソニー・ロリンズと同じ理由で一回完結になる。オーネットの場合なら「ジャズ来るべきもの」で完成して、後は半世紀変わらない。バンドの編成、使用楽器に変遷があるだけだ。

59~60年に華々しかったオーネットもアメリカのジャズ不況で61年には失速(この3年間で全曲オリジナルのアルバム10枚を録音したが、印税はほとんど払われなかったという)62~64年は活動休止している。
65年のカムバック・バンドはそれまでコンビを組んでいたドン・チェリー(トランペット)も独立(ロリンズ~アルバート・アイラーらのバンドを渡り歩いた)、新たにトランペットとヴァイオリンも独学し、ベースとドラムスだけを従えたトリオだった。そして渡欧して絶讚を博す。「アット・ザ・ゴールデン・サークル」1965(画像2)が名作だが、65年トリオは全部いい。60年代末はデューイ・レッドマンと組む。
70年代は総決算的な「サイエンス・フィクション」、オーケストラ作品「アメリカの空」(共に1972)から始まり、プライム・タイム・バンドの「ダンシング・イン・ユア・ヘッド」1976(画像3)に行き着いた。37分1曲おまけ4分半。やってくれます。