人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Paul Bley Quintet Live at the Hillcrest Club (Inner City, 1976)

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Paul Bley Quintet Live at the Hillcrest Club (Inner City, 1976) Full Album : http://youtu.be/su1cDihBbWg
Recorded October, 1958, The Hillcrest Club in Los Angeles, CA
Released 1976, Inner City IC 1007
(Side A)
A1. Klactoveedsestene (Charlie Parker) - 12:07 (00:00)
A2. I Remember Harlem (Roy Eldridge) - 3:52 (12:07)
(Side B)
B1. The Blessing (Ornette Coleman) - 9:38 (15:59)
B2. Free (Ornette Coleman) - 5:39 (25:37)
(Side C)
C1. Ramblin' (Ornette Coleman) - 14:06 (31:16)
C2. How Deep Is The Ocean? (Irving Berlin) - 4:35 (45:46)
(Side D)
D1. When Will The Blues Leave? (Ornette Coleman) - 14:29 (50:21)
D2. Crossroads (Ornette Coleman) - 1:54 (1:04:28)
[Personnel]
Paul Bley - piano
Ornette Coleman - alto saxophone
Don Cherry - cornet
Charlie Haden - bass
Billy Higgins - drums

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 (Double LP Album Liner Notes)
 このアルバムはポール・ブレイ(ピアノ、1932~)が1958年の西海岸での単身巡業にロサンゼルスで現地採用したメンバーによる臨時編成クインテットのライヴ録音で、1976年と1977年に2枚のアルバムに分けて発表された。76年発表分はAB面に当たる『Fabulous Paul Bley Quintet』で、77年発表分は『Ornette Coleman Classics Vol.1』としてCD面分が収められていた。一応リーダーはブレイなのだが、現地採用メンバーはオーネット・コールマン(1930~)のレギュラー・カルテットだったのだ。
 オーネットはこの年の2月にコンテンポラリー・レーベルに初アルバム『サムシング・エルス!!!!』を録音し発表直後で、すでにドン・チェリー(トランペット)、チャーリー・ヘイデン(ベース)、ビリー・ヒギンズまたはエド・ブラックウェル(ドラムス)というピアノレス・カルテットで活動していたが、デビュー作ではピアノにウォルター・ノリス、ベースにドン・ペインというメンバーだった。その後オーネットはピアノレス編成と従来の役割から脱したベースの必要性に気づき、オーネット、チェリー、ヘイデン、ヒギンズ(ブラックウェル)からなるカルテット編成が確立する。

 59年1月~3月録音の第2作『トゥモロウ・イズ・ザ・クエスチョン』ではレーベル側がテコ入れを計り、今度はオーネットの希望通りピアノレスにする代わりドラムスに御大シェリー・マン、ベースに名手レッド・ミッチェルで録音を始めるも3曲でミッチェルはセッションを放棄してしまう。
 そこにロサンゼルス公演に来ていたMJQのジョン・ルイスが目をつけ残りの曲はMJQのパーシー・ヒースがベースに入ってアルバムを完成させ、コンテンポラリーとの契約を満了させてMJQを主力とするアトランティック・レーベルに移籍させ、5月には初めてレギュラー・カルテット(ドラムスはヒギンズ)によるスタジオ・アルバム『ジャズ来るべきもの』がアトランティック移籍第1弾として録音される。

 ジョン・ルイスホワイトハウス執事の家系のインテリ黒人ジャズマンとして批評家以上の権威と影響力があり、かつてチャーリー・パーカーを「バッハ以来の音楽的発明」と評してその評価を定着させたのもルイスだったが、ルイスはオーネットを「チャーリー・パーカー以来のジャズ革命」と絶賛して、アルバム制作に続くニューヨーク進出を後援した。
 移籍第1作『ジャズ来るべきもの』発表直後には、ルイスが夏期にジャズ講座を委託されていたマサチューセッツ州のレノックス大学に、ヴェテラン・ジャズマンに混じってオーネットとチェリーの二人も実演指導者として招いている。ニューヨークに進出したオーネット・コールマン・カルテットは、ジャズ・クラブのファイヴ・スポット・カフェで異例の延長契約により6か月の長期出演を果たした。ルイスの絶賛はてきめんで、ジャズマンのみならずクラシック界や映画界からもオーネットを観に、毎晩誰かしら有名人が客席に来ていたという。

 オーネットの音楽はもちろんオーネットにプライオリティがあるが、『ジャズ来るべきもの』が真に革新的なサウンドになったのはオリジナル・カルテット全員の力量によるものだった。エド・ブラックウェルが遅れてニューヨークに出てくると、すでにヒギンズは人気ドラマーで他にも仕事が増えたためドラムスはブラックウェルが呼ばれる頻度が増える。ブラックウェル(1929~1992)はスマートなヒギンズと対照的な垢抜けないドラマーながら、オーネットやエリック・ドルフィーとの共演では素晴らしい成果を残した。だがオーネット自身も後に、『ジャズ来るべきもの』前後ではヒギンズの直進的ビート感覚が良かった、と語っている。
 ヒギンズ(1936~2001)は後にジャッキー・マクリーンソニー・ロリンズセロニアス・モンクら大物主流ジャズマンにも起用される引っ張りだこのドラマーになった。だがカルテットのオリジナリティをオーネットとともに具体化していたのは、ポケット・トランペットのドン・チェリー(1936~1995)と、白人ベーシストのチャーリー・ヘイデン(1937~2014)だった。

 チェリーのトランペットはオーネットのスタイルをそのままトランペットに置き換えており、これほどサックスとトランペットが双子のようなサウンドを出したバンドはなかった。このライヴではスタンダードのバラード『ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン』や、オーネットのオリジナルでは『サムシング・エルス!!!!』収録の『ザ・ブレッシング』、アトランティック移籍後に録音・発表される名曲『ランブリン』『ホエン・ウィル・ブルース・リーヴス』でまるで一人のプレイヤーがアルトサックスとトランペットの二重奏をしているような、しかも微妙にタイミングや音程のずれたユニゾン・プレイが聴かれる。オーネットは後にトランペットも手がけたが、当然ながらチェリーそっくりの演奏になった。
 ヘイデンのベースは4ビートを刻むと猪突猛進、そうでない時はビートや和声・調性に対してドローンでシンコペーションを鳴らすか、テーマに対しては対位法だったり、ベースライン自体もテーマの一部(『ランブリン』はその典型例)だったりした。ヘイデンはビル・エヴァンス・トリオで名高いスコット・ラファロ(1936~1961)とロサンゼルス時代から親友であり、ほぼ同時にニューヨークに進出したのでルームシェアする間柄だった。ヘイデンとラファロはその後のジャズのバンドで、ベースがアンサンブルに占める位置を決定的に見直すだけの影響を与えた白人ベーシストだった。

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 ("Ornette Coleman Quintet at Complete Hillcrest Club" CD Version)
 このライヴ音源は客席録音らしくピアノがほとんど聴こえない。レパートリーもオーネット・カルテットのものだから現在ではオーネット・コールマンクインテット名義でCD化されている。『ジャズ来るべきもの』の半年前にすでにバンドのスタイルは決まっていた証拠でもある。CDでもLPでも『ホエン・ウィル・ブルース・リーヴス』と『ランブリン』が表記違いされているのが愛嬌だが、どちらも後ほどのスタジオ盤より3倍あまりの演奏時間におよぶ。また、スタジオ盤未収録のジャム・セッション曲『フリー』『クロスロード』を収めているのも貴重だろう。皮肉なことにブレイのピアノが聴こえない録音だから最初期オーネット・カルテットのライヴ演奏を生々しく伝えるアルバムになったのだし、ブレイのピアノもよく聴くとセンスよくカルテットの演奏に馴染んでいる。つまりほとんど弾いていない。
 通常クラブ出演ではスタンダード曲を求められるものだし、ブレイも新進気鋭のレギュラー・バンドだからと起用しただけだろう。ブレイの師匠のチャールズ・ミンガスエリック・ドルフィーの師匠でもあったから、ロサンゼルス在住のドルフィーから親友オーネットを紹介されたのかもしれない。彼らがオーネットのオリジナルしか演奏しないバンドだと判明しても採用し、事実上オーネットをリーダーとしたバンドとしてレパートリーを組んだブレイも偉い。おかげで珍しくパーカーのオリジナルを大胆にデフォルメするオーネットも聴けるし、パーカーのレパートリーでもあった『ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン』の解釈はアトランティック時代にオーネットが唯一取り上げたスタンダード曲で、やはりパーカーのレパートリーだった『エンブレイサブル・ユー』の解釈にそのままつながっていくものだった。
 音質もバランスも素人録音並みだが臨場感に溢れたこのライヴは、スタジオ盤のデビュー作『サムシング・エルス!!!!』より遥かにオーネットの音楽の本質を現した優れたドキュメントになっている。『サムシング・エルス!!!!』では萌芽だったものが、ここでは粗削りながら明確なスタイルとして表れている。