人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(30a)リー・モーガン(tp)

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Lee Morgan(1938-1972,trumpet)。戦後モダン・ジャズ最高のトランペッターはクリフォード・ブラウン(1930.10-1956.6)だった。一方リー・モーガンフィラデルフィアの音楽一家の末っ子で、幼児の頃からジャズ・クラブに出入りしていたという。時代はビ・バップ全盛、14歳の誕生日プレゼントにトランペットを贈られたモーガンガレスピーやマイルスを独学でコピーし、やがてクリフォードの存在を発見。クリフォードのルーツというべきファッツ・ナヴァロを研究、15歳で地元のジャズ少年たちを集めてバンドを組み親分におさまる。そしてついに憧れのクリフォードと親好を得ることになった。
やがてフィラデルフィアを訪れたアート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズディジー・ガレスピー・オーケストラの目にとまり、まず56年10月にディジーのバンド、次にメッセンジャーズの花形新人として迎えられることになる。

その直前6月にクリフォードは交通事故死し、前年のパーカーの急逝に続いてジャズ界は大きな欠落感に囚われた。そんな時、まだ18歳3か月、ジャムセッション・アルバム1枚の参加経験しかないリー・モーガンの「リー・モーガンインディード!」が異例のリーダー作デビューとして録音される(11月4日)。これは実績と信頼のブルー・ノートからだが、なんと翌日にはプレスティッジと並んで悪名高いサヴォイに「イントロデューシング・リー・モーガン」を録音している。
この2作品はやや訳ありで、「インディード!」は謎のパーカー派アルト、クラレンス・シャープの数少ない参加作だが、それも聴けば納得する。また後者は本来はハンク・モブレー作品として録音されたがブルー・ノートへの便乗商法でモーガン名義になった。サヴォイやプレスティッジはそういうことを平気でやるレーベルだった。

絶好調は翌月録音の「リー・モーガンVol.2」(画像1)ではじまり、「リー・モーガンVol.3」1957(画像2)は名曲で超難曲『クリフォードの思い出』で名高い。ガレスピーの古典『チュニジアの夜』を含む「ザ・クッカー」1957、生涯唯一のワン・ホーン作品でソニー・クラークの好演が光る「キャンディ」1957・1958(画像3・タイトル曲難曲!)を経てモーガンメッセンジャーズに加入する。