(30a)リー・モーガン(tp)



やがてフィラデルフィアを訪れたアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ、ディジー・ガレスピー・オーケストラの目にとまり、まず56年10月にディジーのバンド、次にメッセンジャーズの花形新人として迎えられることになる。
その直前6月にクリフォードは交通事故死し、前年のパーカーの急逝に続いてジャズ界は大きな欠落感に囚われた。そんな時、まだ18歳3か月、ジャムセッション・アルバム1枚の参加経験しかないリー・モーガンの「リー・モーガン・インディード!」が異例のリーダー作デビューとして録音される(11月4日)。これは実績と信頼のブルー・ノートからだが、なんと翌日にはプレスティッジと並んで悪名高いサヴォイに「イントロデューシング・リー・モーガン」を録音している。
この2作品はやや訳ありで、「インディード!」は謎のパーカー派アルト、クラレンス・シャープの数少ない参加作だが、それも聴けば納得する。また後者は本来はハンク・モブレー作品として録音されたがブルー・ノートへの便乗商法でモーガン名義になった。サヴォイやプレスティッジはそういうことを平気でやるレーベルだった。
絶好調は翌月録音の「リー・モーガンVol.2」(画像1)ではじまり、「リー・モーガンVol.3」1957(画像2)は名曲で超難曲『クリフォードの思い出』で名高い。ガレスピーの古典『チュニジアの夜』を含む「ザ・クッカー」1957、生涯唯一のワン・ホーン作品でソニー・クラークの好演が光る「キャンディ」1957・1958(画像3・タイトル曲難曲!)を経てモーガンはメッセンジャーズに加入する。