(30b)リー・モーガン(tp)



戦後俳句の大物・金子兜太に、
・どれも口美し晩夏のジャズ一団
という佳作があるが、メッセンジャーズのことだろう。来日中のモーガンはステージ以外は素行不良でスタッフも手を焼いたという。そういう天才がやる音楽が面白くないはずはない。
モーガンは65年までの8年間にメッセンジャーズに25枚のアルバムを残して退団し、以後はフリーランスとして自分のバンドを持つが、メッセンジャーズ時代ではテナーがウェイン・ショーターに交代した「チュニジアの夜」1960(画像1)が傑作として名高い。
ショーターもモーガンと同時期にメッセンジャーズを退団し、ハービー・ハンコック(ピアノ)とトニー・ウィリアムズ(ドラムス)を擁するマイルス・クインテットに移ったが、彼らはリーダー作はブルー・ノートから発表し、当時は「ブルー・ノート派」、後に「新主流派」と呼ばれた。ショーターのブルー・ノート第一作「ナイト・ドリーマー」1964(画像2)はモーガン参加、リズム隊はコルトレーンから、という混成チームだが、メッセンジャーズでもコルトレーンでもない、ショーター加入後のマイルス・クインテットを予告する音楽になっている。
モーガン加入以前のメッセンジャーズの先輩テナー、ハンク・モブレーは61年に数か月でマイルス・クインテットを解雇された不遇の人だが、ブルー・ノートでは生き生きとしたリーダー作を発表し続けていた。人気曲『リカード・ボサ・ノヴァ』を含む「ディッピン」1965(画像3)もモーガンのやさぐれ風味がほど良く効いた好盤だろう。