Hank Mobley(1930-1985,Tenor Sax)。アルトのジャッキー・マクリーンと並んで、これほど愛される50-60年代のサックス奏者はいないだろう。いや、絶大な人気を誇る超人レヴェルのサックス奏者なら何人もいる。ジャズはその人たちによって前進した。それに較べればマクリーンやモブレー、そしてモブレーに先立って紹介したケニー・ドーハム、リー・モーガンらのトランペッターたちはジャズ史の傍役にすぎない、とも言える。だが彼ら抜きではジャズはこれほど面白くなっただろうか。身近で、くつろいだものになっただろうか。
デビューはマックス・ローチ・カルテット「フィーチャリング・ハンク・モブレー」1953。ディジィー・ガレスピーのビッグ・バンドを経てジャズ・メッセンジャーズの結成メンバーとなり、「ハンク・モブレー・カルテット」1955.3(画像1)をブルー・ノートでの第一作に発表する。メッセンジャーズの「アット・カフェ・ボヘミア」55.11で再演されるオリジナルの名曲『アヴィラ・アント・テキーラ』はここで初演。
ジャズ・メッセンジャーズへの在籍期間を終えてホレス・シルヴァー・クインテットに移籍、ジャム・セッション・アルバム、「テナー・コンクレイヴ」56.9(画像2)に参加。テナー4人の共演で、モブレー、ジョン・コルトレーン、アル・コーン、ズート・シムズだから一発で区別がつく。この時点ではモブレーはコルトレーンより優れたテナーマンだと評価されるだけの演奏をしている。ブルー・ノートではホレス・シルヴァー・クインテットの傍らリー・モーガンの常連サイドマンとなり、リーダー第三作「ハンク・モブレー」57.3(画像3)ではひさしぶりにホレス・シルヴァーとアート・ブレイキーが顔をあわせたメッセンジャーズ再会アルバムになった。このアルバムでのオリジナル『ファンク・イン・ア・ディープ・フリーズ』はミュージシャン人気が高く、晩年のチェット・ベイカーも愛奏曲にしていた。
この時期から最高傑作の三部作「ソウル・ステーション」「ロール・コール」「ワークアウト」にいたるまで、モブレーの演奏には迷いがない。自分のやりたいジャズを、自分の最善のセッティングでアルバム制作する。素晴らしいアルバムが次々に録音された。