人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(32e)ホレス・シルヴァー(p)

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ホレス・シルヴァーに5回を費やしたのはマイルス・デイヴィスとは別の軌道でモダン・ジャズのほぼ全歴史を生きてきた存在だから、ということになる。これまで掲載してきたアルバム・ジャケットを今回の掲載ジャケットと比較してほしい。60年代後半、ジャズはついにこうなってしまった。「ソング・フォー・マイ・ファーザー」1963・1964(画像1)はまだしも(シルヴァーのお父さんとのこと)「セレナーデ・トゥ・ア・ソウル・シスター」1968はタイトルのまんまソウル・ミュージックのジャケット、ヴォーカリスト、エレキ・ギターを入れた「ユナイテッド・ステイト・オブ・マインド(人心連合)」三部作の第一作「ザット・ヒーリン・フィーリン」1970(画像3)はうさんくさいサイケデリック・ロックのジャケットのようだ。そしてなんと!ブラック~ファンク・ミュージックから外れていないが、もはやここまで来るとジャズなのか?になってしまった。
マイルスは「マイルス・イン・ザ・スカイ」「キリマンジャロの娘」「イン・ア・サイレント・ウェイ」「ビッチズ・ブリュー」とロック化しても純粋に音楽的な説得力があった。音楽に宗教思想を持ち込むとどうなるか、という見本がシルヴァーだった。その辺を許して聴けば時代の産物として面白いともいえる。

「ソング・フォー・マイ・ファーザー」のタイトル曲はリフがそのままスティーリー・ダンの『リキの電話番号』1973に使われたことでも知名度を上げた。63年にアルバム半分を録音後、プロデューサーからメンバーを一新するよう指示される(リチャード・クック「ブルー・ノート物語」)。やっぱりな、という感じだ。新メンバーはジョー・ヘンダーソン始めブルー・ノート人脈で新しい世代を揃えた。
新メンバーでの音楽性は「セレナーデ・トゥ・ア・ソウル・シスター」まで続くが、ランディ・ブレッカーやビリー・コブハムを迎えた69年の「ユー・ガッタ・テイク・ア・リトル・ラヴ」は精彩に欠け、次の三部作で失敗。70年代には「27枚目の男」(シルヴァーのブルー・ノート作品数)、そして「ブラス」「ウッド」「ヴォイセズ」「パーカッション」「ストリングス」の五部作を残し、78年にブルー・ノートとの契約は終った。
以後は自主制作で90年代までに4作。ジャズ復古ブーム以降は時たま新作を出している。