人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(32d)ホレス・シルヴァー(p)

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さてついにモダン・ジャズ史上最高にファンキーなバンドがやって来た。それが「フィンガー・ポッピン」1959(画像1)でメンバーが揃い、次作「ブローイン・ア・ブルース・アウェイ」1959(画像2)で不動の団結力を固め、ジャズ史上に燦然と輝く傑作ライヴ「ドゥーイン・ザ・シング」1961(画像3)で頂点を極めたホレス・シルヴァークインテットだった。この時期のクインテットには他に「ホレス・スコープ」1960、「ザ・トーキョー・ブルース」1962、「シルヴァーズ・セレナーデ」1963があり、64年の「ソング・フォー・マイ・ファーザー」ではアルバムの半分では新しいバンドに席を譲っている。
本当に素晴らしいバンドだった。ドラムス、ルイス・ヘイズ(60年以降ロイ・ブルックスまたはジョン・ハリス)。ベース、ジーン・テイラー。そしてトランペット、ブルー・ミッチェル!テナー、ジュニア・クック!

まず曲が素晴らしいのは言うまでもない。「フィンガー・ポッピン」ならタイトル曲、『クッキン・アット・ザ・コンチネンタル』『ジューシー・ルーシー』、「ブローイン・ア・ブルース・アウェイ」のタイトル曲や『シスター・セイディ』、「ホレス・スコープ」の『ニカの夢』、「ザ・トーキョー・ブルース」のタイトル曲。狂熱のライヴ「ドゥーイン・ザ・シング」オープニングの超ファンキー曲『フィルシー・マクナスティ』などただのブルースなのにすごい躍動感!ブルー・ミッチェルのソロが鋭い!ジュニア・クックのソロがボケる!管楽器のソロのバックでもガンガン鳴り響くシルヴァーのピアノ!
というのがこの時期のシルヴァー・クインテットだった。足かけ6年(1959-1964)満5年しか続かなかったのはよくあるメンバーの出世ではないだろう。ジュニア・クックなどシルヴァー・クインテットでの演奏がわざとボケに徹しているかというと、どうもそれが地らしいのだ。

おそらく64年のバンド改編には音楽的・経済的事情があっただろう。シルヴァーの所属するブルー・ノートでも一方で先鋭的な新主流派一派を推進しつつ、リー・モーガン『サイドワインダー』、ハンク・モブレーリカードボサノヴァ』などの8ビート・ジャズ、ジャズ・ボッサを奨励していた。
メンバーのフルタイム雇用も難しくなり、臨時雇用制に切り替わっていたとも考えられる。季節は秋になった。