人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Horace Silver - Silver's Blue (Epic, 1957)

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Horace Silver - Silver's Blue (Epic, 1957) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PLKITiLQ_1fJPDKVOsSl2i74Ay-1RNQr32
Recorded July 2, 17 , & 18 1956
Released; Epic LN3326, Early August 1957
All compositions by Horace Silver except as indicated.
(Side A)
1. Silver's Blue - 7:44
2. To Beat or Not to Beat - 4:03
3. How Long Has This Been Going On? (George Gershwin, Ira Gershwin) - 4:17
4. I'll Know (Frank Loesser) - 7:24
(Side B)
1. Shoutin' Out - 6:33
2. Hank's Tune (Hank Mobley) - 5:26
3. The Night Has a Thousand Eyes (Buddy Bernier, Jerry Brainin) - 11:28
Recorded in NYC on June 2 (tracks A2, A3 & B1), June 17 (tracks A1 & A4), and June 18 (tracks B2 & B3), 1956.
[ Personnel ]
Horace Silver - piano
Donald Byrd - trumpet (tracks A1, A4, B2 & B3)
Joe Gordon - trumpet (tracks A2, A3 & B1)
Hank Mobley - tenor saxophone
Doug Watkins - bass
Kenny Clarke - drums (tracks 2, 3 & 5)
Art Taylor - drums (tracks 1, 4, 6 & 7)

 ホレス・シルヴァー(1928~2014)といえばブルー・ノート、ブルー・ノートといえばシルヴァーというくらいシルヴァーとブルー・ノート・レーベルは深い縁があった。ブルー・ノートの最多アルバム・アーティストであり、契約期間も最長で1952年~1979年におよび、契約終了もブルー・ノートの新作制作打ち切り(のち再開、ただしシルヴァーの再契約はなし)に伴うものだった。80年代以降は自主レーベルから数枚のアルバムを出したが70年代にはすでに人気は凋落しており、アシッド・ジャズの流行を受けて1993年にコロンビアからメジャー・レーベル復帰作を出してからは99年の『Jazz...Has...A Sense of Humor』まで5作をコロンビア、インパルス、ヴァーヴに残したが、新作よりも過去のアルバムの再評価によって再び聴かれるようになったと言える。シルヴァーはデイヴ・ブルーベックと並んで初期のビル・エヴァンスセシル・テイラーに大きな影響を与えたとエヴァンスやテイラーも証言しており、エヴァンスとテイラーはともに1929年生まれだからわずか1歳年上のシルヴァーの早熟さがうかがわれる。シルヴァーはまだビ・バップの最中にデビューしたが、エヴァンスとテイラーはハード・バップすら終わりが見えた頃にデビューした。世代が違う印象すら受けるが、シルヴァーのパーカッシヴなスタイルは後進に大きな指針となったことでもある。
 50年代~60年代半ばまでのシルヴァーのアルバムはどれもモダン・ジャズ・クラシックで、シルヴァーが初期に参加したスタン・ゲッツアート・ブレイキー(その後ジャズ・メッセンジャーズになる)、アート・ファーマーマイルス・デイヴィスミルト・ジャクソンハンク・モブレーらのアルバムは、リーダーの才能のみならず、どれもシルヴァーの手腕で優れたアルバムになっていると言えるが、1950年にスタン・ゲッツのバンドで初レコーディング・デビューしたシルヴァーが、初めて自己名義の12インチLPを録音したのがコロンビア傘下のエピック・レーベルに残した唯一のアルバム『シルヴァーズ・ブルー』だった。それまでも3枚の10インチLPがあったが、それらは2枚の12インチLPに再編集され(後述)、以後一般的には12インチLPを基準に再発売、CD化されている。12インチLPで録音順なら『シルヴァーズ・ブルー』はシルヴァーの第3作になるが、1952年以来専属だったブルー・ノートを離れて単発でエピックに録音したのは、この時シルヴァーはジャズ・メッセンジャーズのメンバーで、56年にメッセンジャーズがコロンビアに移籍したことによる。コロンビア=エピックにはメッセンジャーズで3枚、シルヴァー名義で1枚を残してシルヴァーはメッセンジャーズを脱退、同年中にはブルー・ノートに戻って早くも復帰作『Six Pieces of Silver』を録音する。56年にはポール・チェンバース『Whims of Chambers』、J.R.モンテローズ『J. R. Monterose』、リー・モーガンLee Morgan Indeed!』、ハンク・モブレーHank Mobley with Donald Byrd and Lee Morgan』、リー・モーガンLee Morgan Vol. 2』の5枚のブルー・ノート作品に参加しているから、自分のアルバム2枚、メッセンジャーズ3枚、ブルー・ノート作品5枚の計10枚のアルバムがあることになる。

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 (American Stereo Reissued LP Front Cover)
 だが『シルヴァーズ・ブルー』でもメンバーはシルヴァー、バード、モブレー、ワトキンスの4人がメッセンジャーズ在籍中で、アート・テイラーもブレイキーの代役のようなものだから、ケニー・クラークのドラムスとジョー・ゴードンのトランペットが唯一メッセンジャーズ作品との違いとも言える。だが元祖バップ・ドラマーのクラークはけっこう曲者で、たまに予想を外すようなフィルを入れる。ブレイキーのようにオレについてこいタイプのドラムスではない。また、ジョー・ゴードン(1928~1963)の参加が嬉しい。リーダー作は生前に1955年の『Introducing Joe Gordon』(EmArcy)と1961年の『Lookin' Good!』(Contemporary)しかなく、CD時代になって1960年のライヴ『West Coast Days - Live At The Lighthouse』(Fresh Sound)が発掘された。ロサンゼルス時代のスコット・ラファロの参加が目玉。カリフォルニア州は人種混交の地域なので、白人ジャズマンと黒人ジャズマンの共演は普通だった(ニューヨークやシカゴではめったにない)。参加アルバムは発掘ライヴ含めて17枚、うち7枚がシェリー・マンのレギュラー・バンドだった。巡業先のホテル火災で事故死した。享年35歳。チャーリー・パーカーのボストン公演でも共演して、パーカーと共演したトランペット奏者でも有名奏者にひけをとらない見事な演奏を残した。1960年のセロニアス・モンク『アット・ザ・ブラックホーク』にも参加していて、これもいい。さて『シルヴァーズ・ブルー』だが、6月2日に3曲ゴードン、クラークと録音して、17日と18日に2曲ずつバード、テイラーと録音したのはどういう意図だったか。A3のミュートとブラッシュのバラードの味わい、B1のクリフォード・ブラウンを渋くしたようなアイディアあふれるソロと快調なドラムスを聴くと、判官びいきかもしれないがゴードンとクラークの担当した3曲の方が良くはないだろうか。
 テナーのモブレーはマイペースだからどちらでも風だが、ゴードン入りの曲だとゴードンのソロの方が断然光る。バードがトランペットだとモブレーはりきる。その違いがあるのかもしれない。つまりモブレーは「やっぱりメッセンジャーズ仲間のバードの方がやりやすいや」そこでシルヴァーも「そんならドラムスも大親分(クラーク)じゃなくて、だが親方(ブレイキー)に頼むわけにはイカンから、バードの友だちのテイラーにしよう」ベースのワトキンスも「テイラーとはやりやすいよ。賛成」という成りゆきだったのではないか。案外ゴードン、クラークとのセッションでももっと録音したかもしれないが、捨てるに惜しい3曲だけ採用した。全編ゴードン入りで録音したらゴードンのリーダー作みたいになっていたかもしれない。もっともジョー・ゴードンと聞いてきらりん、とときめくのはアーニー・ヘンリー(アルトサックス)やリチャード・ツワージック(ピアノ)、トニー・フラッセラ(トランペット)やジョー・マイニ(アルトサックス)など不遇夭逝ジャズマンの死臭を知っているリスナーに限られるかもしれないが、没後四半世紀以上を経て、本国でもようやく評価されるようになったソニー・クラーク(ピアノ、1931~1963)だって人気の秘密はそこにある。チャーリー・パーカー(34歳没)だってエリック・ドルフィー(35歳没)だってそうではないか。

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 (Netherlands LP "Silver's Blue" 1957 Front Cover)
 シルヴァーの本格的リーダー作はブルー・ノート復帰作『Six Pieces of Silver』から、というのが一般的認識で、『Horace Silver Trio and Art Blakey-Sabu』1955(録音52~53年)と『Horace Silver and the Jazz Messengers』1956(録音54~55年)は実質的にはブレイキーとの共同リーダー作と見做されている。『シルヴァーズ・ブルー』はメッセンジャーズのメンバー中心のセッション作だし、『Six Pieces of Silver』もまだメッセンジャーズからバードとモブレー、ワトキンスを借りてきている。ただ2曲でテナーがジュニア・クック、ベースがジーン・テイラーに替わり、ドラムスは全曲ルイス・ヘイズが担当している。『The Stylings of Silver』1957、『Further Explorations』1958ではまだアート・ファーマーハンク・モブレーを呼んで正統派ハード・バップをやっているが、『Finger Poppin' 』1959でついにブルー・ミッチェル(トランペット)、ジュニア・クック、シルヴァー、テイラー、ヘイズという1963年いっぱいまで続く鉄壁のファンキー・クインテットのメンバーが揃う。このメンバーで6枚のアルバムを作った時期がシルヴァー黄金時代と言われるが、『Song for My Father』1964を半分録音したところでブルー・ノート社長から「そろそろ最近専属契約した実力派新人にメンバー・チェンジしたらどうだね」と提案されあっさり全員解雇してしまう。もっともトランペットがウディ・ショウ、テナーがジョー・ヘンダーソンとくればその後数作は名作が続くが、ショウやジョーヘンはシルヴァーの音楽より進みすぎていた。当然バランスは崩れていく。
 60年代末からのシルヴァーは流行のヒッピーイズムに感化され、70年からは『The United States of Mind』(精神合衆国)三部作、『Silver'n Brass』を始めとするシルヴァー流フュージョン(『Silver'n Wood』『Silver'n Voices』と続く)五部作を発表、78~79年録音の『Silver'n Strings Play the Music of Sphires』を最後にブルー・ノートの閉鎖に伴いレーベルを去る。シルヴァーと契約するレーベルは現れず、シルヴァーは93年にコロンビアからメジャー復帰するまで、自主レーベルのシルヴェートから5枚のアルバムをリリースするにとどまる。かつての人気からの凋落ぶりは大きく、シルヴァーはファンキー・ジャズで大衆的人気を博したため硬派のハード・バップより再評価が進まなかった。メジャー復帰が成ったのは、ロンドンのクラブで「踊れるレトロ・ジャズ」の発掘がさかんになり、ブルー・ノート作品はレーベルの社風からキャッチーなアルバムが多く、中でもシルヴァーのファンキー・ジャズは飛びぬけて「踊れるレトロ・ジャズ」だった。しかも80年代末時点の主流ジャズからは、硬派軟派のどちらにも払底してしまった(つまりジャズ側からは再評価の気運がない)、いわば下世話に訴えかけてくるタイプのジャズを体現していたのが黄金時代のシルヴァー・クインテットだった。

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 (Netherlands LP "Silver's Blue" 1973 Front Cover)
 残念ながら『シルヴァーズ・ブルー』はまだ黄金時代までは遠いシルヴァーだが、このアルバムを知って「おお『夜千』か?」というリスナーが多いだろう。1956年6月に『夜は千の眼を持つ』(『The Night Has a Thousand Eyes』1948年のサスペンス映画主題歌。60年代の同題ポップスとは別曲)のジャズ・カヴァーを録音しているのだ。どうせならバードでなくゴードンの演奏で聴きたかった、と贅沢は言えない。アドリブはゴードンに較べ一本調子とはいえ、バードは小唄がうまく、テーマにさり気ない味がある。この曲はジョン・コルトレーンのアルバム『Coltrane's Sound』1964(60年録音)で一躍有名になったのだが、コルトレーン盤発売前にソニー・ロリンズが『What's New?』1962(同年録音)が発表され、ロリンズ盤でギターを弾いたジム・ホール参加のポール・デスモント『Bossa Antigua』1965(64年録音)がほぼ同じギター・アレンジでやっている。ソニー・スティットも『My Main Man』1964(同年録音)で録音、これはロリンズ盤とコルトレーン盤を聴いてかもしれない。ロリンズ盤とデスモント盤はギターはほとんど同じだが(どちらもピアノレスのワンホーン・カルテット)、ベースとドラムスが違うだけで雰囲気はまるで違う。デスモントのプレイは素晴らしいがロリンズ盤に較べてベースとドラムスがもうひと工夫ほしい。ボサ・ノヴァ・アレンジを意識しすぎて締まりがない(ベースはデイヴ・ブルーベック・カルテットの同僚ジーン・ライト、ドラムスはMJQのコニー・ケイ)。ではロリンズの盤アレンジでデスモントが吹いたらどうかというと、どうも違和感があるだろう。
 映画は日本未公開だがVHSテープ時代にアメリB級映画の廉価版シリーズで無名メーカーから出ていた。原作はウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の同名長編小説(翻訳は江戸川乱歩編集「別冊宝石」のち新訳・創元推理文庫)で、80年代前半まで人気のある作家だったから(71年逝去。何度も日本で翻案映画化・テレビドラマ化された)、入手困難だったこの作品は「別冊宝石」が先に版権を取って雑誌掲載していたからちゃんとした書籍化が遅れた。1940年代~50年代の話題作には「別冊宝石」のせいで雑誌掲載に終わった名作も多い。VHSレビューの仕事でサンプル版で映画も観た。小説も映画もきれいさっぱりと忘れている。アイリッシュ作品はどれも同工異曲なのだ。当時はまだジャズを聴いていなかったから主題歌の印象もない。結局原作小説、映画はコルトレーンの名演を筆頭とする主題歌のジャズ・カヴァーを生み出したことで記憶される。レイモンド・チャンドラーと双璧をなす人気作家だったのだが、現在でもアイリッシュ(ウールリッチ)作品は読まれているだろうか?また、コルトレーンらの『夜千』は知っていてもシルヴァーの埋没盤『シルヴァーズ・ブルー』がジャズ・カヴァーの先駆をつけたのは案外知られていないだろう。シルヴァーがこの曲に目をつけた経緯を知りたいものだ。