人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(37a)ブッカー・アーヴィン(ts)

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Booker Ervin(1930-1970,tenor sax)。果してこの人をモダン・ジャズの巨人と呼べるのだろうか?実働10年でリーダー作18枚(没後発表含む)、参加作18枚。六歳年少で同年に没したアルバート・アイラーも実働10年だが、アイラーはさらに寡作で生前10枚・没後10枚とアーヴィンの半分。だがアイラーはジャズの革新者だった。
アーヴィンと同年生まれでその没年と符丁を合わせるように引退したハンク・モブレーは実働15年で100枚。四歳年上で同年齢で逝去したジョン・コルトレーンは実働10年で200枚。二歳年上のエリック・ドルフィーは実働6年で110枚。同じく二歳年上のジョニー・グリフィンはアーヴィン没年までに実働15年で85枚。
アイラーは実家の仕送りが頼りだったが、年収80ドルでは無理もない。アーヴィンはライヴも含めてようやく音楽だけで生計を立てるギリギリの線だったろう。

テキサス出身で空軍入隊中テナーを始めたアーヴィンは、除隊後ボストンに移住しバークリー音楽大学で学ぶ。50年代当時すでに「バークリー・システム」と呼ばれるジャズの楽理的解析と応用学習が行われており、秋吉敏子渡辺貞夫ら日本のトップ・ジャズマンたちも相次いで留学する。
ベーシストで作・編曲家チャールス・ミンガス(Charles Mings)はボストンのジャズ界に縁が深かったが、バンドの再編にあたってアーヴィンに白羽の矢が立ったのが映画「アメリカの影」(ジョン・カサヴェテス監督・自主制作)のサントラの正式なアルバム用録音で、それが「ジャズ・ポートレイツ」1959.1(画像1)。4曲中3曲がミンガスのオリジナルで、アルトのジョン・ハンディとの息の合った2管フロントがいかした快作。'Nostalgia In Times Square'が推薦曲。

この年のミンガスの創作力は絶頂で、2月には名盤「ブルース・アンド・ルーツ」(画像2)、5月には欧米ではマイルス「カインド・オブ・ブルー」に匹敵する最高傑作と名高い「ミンガス・アー・ウム」(画像3)を制作、全曲オリジナル。推薦曲は前者では'Wednesday Night Prayer Meeting'、後者は'Better Git It In Your Soul'で決まりだろう。これらに参加しただけでもアーヴィンの名はジャズの歴史に残る。