人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(41a)ジェリー・マリガン(bs,p)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

Gerry Mulligan(1927-1996,baritone sax,piano)。
どう考えても「モダン・ジャズの巨人25」なら落とせない白人ジャズの雄。パーカー、ガレスピー、モンクらモダン・ジャズの開祖は別にして、マイルス・デイヴィスに匹敵する唯一の存在かもしれない。戦後ジャズはマイルスとマリガンが引っ張ってきたということだ。両者の出会いから黒人ジャズと白人ジャズの融合が始まった、といえる。

チャーリー・パーカークインテットを退団したマイルス・デイヴィスは友人の編曲家ギル・エヴァンスから新進気鋭の編曲家で作曲家・バリトンサックス奏者を紹介された。それがマリガンで、ライヴ活動中は組合のストライキで録音できず、翌年の49年にようやく'Birth of the Cool'(画像1)を制作する。巧妙なアレンジでビ・バップをリラックスした音楽に作り替えたこの作風は「クール・ジャズ」と呼ばれその後の白人ジャズの主流になる。当時大人気のジョージ・シアリング曲'Conception'はしばらくマイルスの愛奏曲になる(ただし自作'Deception'と改題)。

ロサンジェルスのショーティ・ロジャース&ヒズ・ジャイアンツの51年録音とジェリー・マリガン・テンテットの53年録音をカップリングした'Modern Sounds'(画像2)は「クールの誕生」がいかに西海岸のジャズ・シーンで大反響を呼んだかを伝えるアルバムでもあり、この反響からマリガンはニューヨークからロサンジェルスに活動の拠点を移す。ロジャースはジミー・ジュフリー編曲でアート・ペッパーをフィーチャーした'Over the Rainbow'が白眉。マリガンでは「クールの誕生」で初演したオリジナル'Rocker'の聴き較べもいい。この曲はパーカーの愛奏曲にもなった。

西海岸移住前にマリガンは最初のリーダー作をプレスティッジ・レーベルに置き土産にした。51年の'Mulligan Plays Mulligan'(画像3)がそれで、51年のプレスティッジといえばマイルスの'Dig'だが、せーので一発録りの荒っぽいセッションで、不遇テナーのアラン・イーガーはなかなか、不遇ピアニストのジョージ・ウォーリントンは地味。全7曲オリジナル。大作'Mulligan's Too'17分半が雰囲気があって良い。