人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

休診日日記・2月11日月曜・晴れ

いつもは月曜はメンタル・クリニックの診察日なのだが、国民の祝日とのことでお休みになった。ぼくのように病気療養中の人間に平日も祝日もない。ついでに国民の三大義務も果していない。三大義務、すなわち勤労・納税・順法でございます。三大とはいえ先の二条もただひとつ「順法」で括れる。
ならば休日・祝日はユダヤ教のようにもっと徹底してやる。一切の労働を禁止し(育児・介護・医療や事故などはまた別)禁忌を犯したものは肉体的懲罰を与える(未成年は猶予)。肉体的懲罰となるとだんだんサド侯爵めいてくるが、逆にサドはこういう目的とシステムの倒錯を描いていたんだな、ということがわかる。

サドは明らかに循環性気質ではっきり双極1型と言っていいだろう。サドとマゾッホは対にはならない、マゾッホの世界観はシゾイド型気質のものだ、と主張したのがジル・ドゥルーズで、これを通俗化した現代思想ブームは80~90年代日本のバブル商品だった。

話にまとまりがないが月曜は診察日日記の記事と決めていて、それが飛んでしまったのでただの雑感になるのをご容赦いただきたい。ぼくは双極性障害1型(躁鬱病)で人格障害としては強迫性障害とシゾイド型障害、発達障害としてはアスペルガー障害と診断されている。躁鬱だがシゾイド気質を持っており、さらにアスペルガー障害となると社会に馴染まない度合いが非常に高い。反抗的人間の特質が大きい。

双極1型はブログでも少数派のように見える。入院病棟でもそうだった。ぼくは純粋な精神入院はこれまで3回だが、うち2回はぼく以外の入院患者は2、3人のODやアルコール譫妄症、老齢性被害妄想の人たちを除いて統合失調症の長期入院患者ばかりだった。これが一般例と言えるのかどうかわからないが、一度入院したら出られない、という精神病棟入院への誤解はこの辺に由来するのだろう。

寛解期と軽鬱期が長いのが双極1型の特徴なので、受診・治療を受けていない潜在的な双極1型疾患者も相当数にのぼるのではないか、と思われる。病相期自体は相対的に短いので、寛解・軽鬱に戻れば見過ごされてしまうのだ。ぼく自身も治療歴は6年目になるが、発症はその数年前にさかのぼる、という自覚があった(だがそれが躁鬱によるものとは思わず、身体症状に由来するものだと思っていた)。だが初めから自分を躁鬱病だと気づくだろうか?