人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

キメラ音楽としての演歌

お近くのホールで氷川きよしのツアーをご覧になった由、羨ましいですね。氷川さんは声質が明るくて気持良く聴けます。橋幸夫の『潮来笠』60が17歳のデビュー曲で、民謡系歌謡曲のアイドルでは氷川さんの先逹でした。民謡系歌謡曲には『○○節』などの第一次産業物(サブちゃんです)や股旅物、仁侠物があり、音域は高いのが多数ですが仁侠物は例外的に低い。リズムはオンで、やや先乗り気味で張り上げていく。これも仁侠物は例外でリズムはオフ気味に歌い、重くひきずる。

後に演歌と呼ばれるようになったジャンルは昭和34年(1959年)の水原弘『黒い花びら』の特大ヒットから広がっていったもので、朝鮮民謡の音階をジャズの手法でシンプルに楽曲化した、きわめて人工的なハイブリッドなものでした。前年のヒットには春日八郎『居酒屋』、村田英雄『無法松の一生』があり、『黒い花びら』と同年にはフランク永井『東京ナイトクラブ』(松尾和子とのデュオ)、小林旭『ギターを持った渡り鳥』があります。『黒い花びら』は作詞・永六輔、作曲・中村八大というモダンな作者によるもので、民謡系歌謡と都会派歌謡が歩み寄るかたちで後の「演歌」が生れていきました。

都会派演歌は簡単に言えば愛欲歌謡でしょう。前川清を歌手に立てた内山田洋とクールファイブは、本来はジャズ・バンドで長崎のキャバレーの専属でしたが、自主制作シングル『長崎は今日も雨だった』1969で全国区の人気グループになります。
前川清と双璧といえる森進一に愛欲演歌の典型を見ると、まず歌唱が低音域であること。非常に強いヴィブラートを節の終りにかける、演奏に対してオフ気味の乗りなどがあります。民謡系とは対照的です(あちらでは音程を揺らすヴィブラートではなく、タメを効かせて高めに引き上げる唱法です)。

民謡系演歌で愛欲歌謡と接点を持つのは仁侠物でしょう。また、愛欲演歌では男性歌手が女性の一人称で歌うことも多く(女装歌手もいます)、低音の歌唱が求められる分野なのでしょう(後に松山千春という変種も登場しますが)。
昭和40年代前半ではまだ演歌という呼称は定着せず、「艷歌」と当て字されることもありました。朝鮮民謡の概念「恨(コン)」との関連が強く意識されていました。日本では朝鮮民謡はアメリカでのイタリア系・ユダヤ系音楽のような働きがあったといえると思います。