人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(45a)スタン・ケントン(p,ldr)

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Stan Kenton(1912-1979,piano,Big Band Leader)。
 アメリカ本国(または諸外国)と日本の評価・人気に落差のあるミュージシャンは多いが、ジャンルで言えばクラシックやロック、その他ポピュラー音楽全般でもジャズほど好みの差が現れている分野はないのではないか。本国では歴史は継続した現象だが、他国から見ると時代区分ははっきり断絶して見える。
 日本ではビッグ・バンド~スウィング・ジャズとビ・バップ~モダン・ジャズは愛好者が分かれており、それでも戦前からのジャズ批評家による一貫したジャズ史観がアメリカ本国と平行して働いていた。故・油井正一氏の文庫書き下ろし「ジャズ~ベスト・レコード・セレクション」(新潮文庫1986)はベストセラーになり、現在でもジャズの歴史教科書としてこれを凌ぐものはない。
 この本で「ジャズの巨匠」として解説がある20人(組)のうち、戦前からの巨匠は最初の5人。ルイ・アームストロングデューク・エリントンカウント・ベイシーベニー・グッドマン、そしてスタン・ケントンとなる。7人目のチャーリー・パーカー以降はモダン・ジャズとして、6人目のレスター・ヤングはベイシー楽団出身の微妙な時代区分の人ながら巨匠には違いない。
 スタン・ケントンだけが今やすっかり忘却され、よほどのビッグ・バンド・マニアにしか聴かれていない。だがスタン・ケントン・オーケストラはウディ・ハーマン・オーケストラと共にスウィング・ジャズとモダン・ジャズの結接点にあるバンドだった。

 ケントン・オーケストラの出発は1941年、バルボア・ボールルーム(ダンス会場)の専属バンドとして結成された。当時のジャズの需要はダンスバンド、クラブ用バンド、ラジオ中継用バンドだった(レコードのラジオ放送許可は50年代以降。日本の方が規制は緩かった)。41年~55年までのヒット曲は4枚組LP'The Kenton Era'(画像1)、または50年までに絞った1枚'Artistry in Rhythm'(画像4)で聴ける。ケントン楽団は当時最高のラインナップで、独立していったメンバーによって西海岸のモダン・ジャズ界が発展していく。残り2枚'Stan Kenton Presents'50(画像2)、'City Of Glass'51(画像3)は次回で解説する。