人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(45e)スタン・ケントン(p,ldr)

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Stan Kenton(1912-1979,piano,Big Band Leader)。
全盛期は56年~57年の間で終ったとしても41年の発足からしぶとく第一線でやってきたケントン楽団は、白人ビッグ・バンドとしてはウディ・ハーマン楽団に差をつけられたとしてもグレン・ミラー楽団やベニー・グッドマン楽団より全盛期は長かった。華々しさではハーマン楽団に勝っていたのはまちがいない。人材育成でもケントン楽団とハーマン楽団はモダン・ジャズの将来を担う逸材の宝庫といえた。大雑把に言ってケントン楽団はロサンジェルスのジャズ界の、ハーマン楽団はニューヨークのジャズ界の出入口だった。モダン・ジャズではニューヨークがシーンをリードすることになった。ケントン楽団とハーマン楽団の差はそこかもしれない。
'Allmusic.com.'というアメリカの音楽辞典サイトのスタン・ケントンの項目は「チェット・ベイカーとサン・ラの間を埋める存在」という突拍子もない紹介で始まる。まさかサン・ラとの比較はどちらのファンからもブーイングの嵐だろうが、一種の誇大妄想的ビッグ・バンド・リーダーとして共通する。

今回の'The Ballad Style Of Stan Kenton'58(画像1),'Standards In Silhouette'59(画像2)は共にメロウなスタンダード集で、選曲良し編曲良し演奏良しで申し分ない。後者ではMJQの'Django'までやっているが、ジャズとしてはムード音楽ぎりぎりという印象も受ける。ギル・エヴァンス楽団とマイルス・デイヴィスの一連の競演作を意識した節もあるが、際どい。

'Two Much!'60(画像3)は55年にケントンと結婚した専属歌手のアン・リチャーズのヴォーカル作で、ジューン・クリスティの時とは違い楽団のバックがつく。リチャーズは歴代歌手のアニタ・オディ、ジューン、クリス・コナーよりも力量は劣る。というよりアニタら三人は白人女性ジャズ・ヴォーカルの最高峰で、三人ともケントン楽団出身だったのがすごい。リチャーズはケントンと61年に離婚、退団後はプロ活動はせずアルバムを5枚残しただけだった。再婚生活も破綻し82年に46歳でピストル自殺する。このアルバムも一枚通して聴くのはきつい。