人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補6a)リチャード・ツワージク(p)

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Richard(Dick) Twardzik(1931-1955,piano)。
白人モダン・ジャズ・ピアノの系譜では、リチャード(ディック)・ツワージクはトリスターノとビル・エヴァンスミッシング・リンクに位置する。ツワージクはボストンのジャズ・シーンで頭角を現し、二歳年長のエヴァンスよりも早く将来を嘱望されるピアニストになった。エヴァンスは本場ニューヨークというジャズ激戦区にいたから、そのデビューはツワージクの急死の翌年になった。

ニューヨークに次いでジャズの盛んな都市にはロサンゼルス(白人中心)とシカゴ(黒人中心)があり、ボストンは黒人ジャズも受け入れていたがやはり白人中心の都市で、ロサンゼルスとニューヨークとの交流は盛んだったがシカゴとは断絶していた。ツワージクはチャーリー・パーカーの巡業で地元採用ピアニストになるという名誉を授かる。
Charlie Parker:Happy Bird(画像4)51.4.12or12.8-14
Charlie Parker:Boston1952(画像1)52.12.14
-は百枚近いパーカーの発掘ライヴでも聴き応えがあり、前者は1曲のみ参加の客席録音だがテンションと臨場感が高く、後者はラジオ放送で全7曲フルセット収録されており、ツワージクに加えて夭逝の不遇(ホテル火災死)トランペット奏者ジョー・ゴードンの参加も価値を高める。ツワージクは若冠20歳で、堂々とパーカー・クインテットのピアニストを勤めた。

ボストンの若手ジャズマンのリーダー格はスタン・ケントン楽団のチャーリー・マリアーノ(アルトサックス)とウディ・ハーマン楽団のサージ・チャロフ(バリトンサックス)で、当然ツワージクも彼らの、
Charlie Mariano:New Sounds From Boston&Boston All Stars(画像2)51.12&53.1.27
Serge Chaloff:The Fable Of Mabel(画像3)54.9.3
-に参加している。どちらもマイルスの「クールの誕生」影響下のウェスト・コースト・ジャズに通じる作風だが、ツワージクのソロになると明らかに新しいジャズへの志向が見られる。チャロフ盤のタイトル曲などバンド全体がツワージク化して、当時では突出した前衛ジャズだっただろう。