ディス・ヒートはパンク・ロック・ブームの真っ最中にロンドンで活動を始めた。チャールズ・ヘイワーズ(ドラムス)とチャールズ・バレン(ギター)は70年代初頭からのキャリアを持ち、バレンは即興系ジャズ、ヘイワードはプログレッシヴ・ロックのバンド、クワイエット・サン出身。クワイエット・サンは活動中のアルバムはなく、ロキシー・ミュージックの活動休止中に元メンバー、フィル・マンザネラのソロ・アルバム制作で旧メンバーが再会したことからアルバム「メインストリーム」1975を残し、イギリスのプログレッシヴ・ジャズ・ロックの傑作となる。
そして翌年、ヘイワードとビル・マコーミック(ベース)はチャールズ・バレンを迎え、さらに知人の芸術家ギャレス・ウィリアムズをコンセプト担当者として迎えるが、マコーミックとウィリアムズはたちまち犬猿の仲になり、マコーミックは去る。
ウィリアムズは音楽マニアで膨大なレコードを聴いていたが、初めて楽器を持ってセッションした時、偶数拍が理解できなかった。4拍あっても3拍半で平気で次の小節に移り、それがなぜ音楽的に変則的か納得できなかった。
バンドは即興演奏テープをループ再生しリズム・トラックにする、という手法を編み出す。これによりヘイワードの強靭なドラムはテープ・ループと重なってポリリズム効果を生み出し、バレンとウィリアムズはギターとベースを交互に持ち替え、演奏中もテープ操作でループ・パターンを切り換えた。全員でとるヴォーカルは瀕死の傷痍兵のようだった(画像4)。
バンドは初めフレンドリー・ライフルが提案されたが、パンク的なイメージは最終的には避けられ、ディス・ヒートに決定した。活動期間は1977-1982。ウィリアムズのインド渡航による。2001年に再結成の動きがあったがウィリアムズの急死でディス・ヒートの復活は封印された。
2006年の6枚組CD全集「アウト・オブ・コールド・ストリッジ」(画像3)は衝撃的第一作「ディス・ヒート」1979(画像1)、痛烈な第二作「偽り(ディシート)」1981(画像2)に未発表の過激な第三作「リピート」1982、デビュー前のデモ(1977)、名曲マキシ・シングル(1980)、この全集のために編まれたライヴ盤(80~81)から成る。カセット発表作品2作を落したのは痛いが、この特異なバンドの記念碑は慶賀すべきだろう。