人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補1a)バド・パウエル(p)

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Bud Powell(1924-1966,piano)。
レッド・ガーランドを詳しく取り上げたので、これまで簡単に済ませていたモダン・ジャズの巨匠ピアニストたちを改めて解説する。元々の「モダン・ジャズの巨人25」に選出されていた6人のピアニストで、その時はひとり当り1~2回で済ませていたが、ガーランド14回でこの6人にその扱いはないだろう。どのピアニストもジャズ・ピアノの技法を革新し、ピアニストだけにとどまらない音楽的影響力を今日まで持ち続けている。格が違うのだ。

モダン・ジャズのピアノはまずバド・パウエルありきと言われる。10代で当時のニューヨークの若手ミュージシャンの親分格セロニアス・モンクの知遇を経て、チャーリー・パーカークインテットのピアニストとなり、47年に独立して一躍No.1ピアニストの評価を得た。その頃の録音は、
バド・パウエルの芸術」The Bud Powell Trio(画像1)47.1.10/53.8.14
-で聴ける。47年と53年が8曲ずつなのは、元々は別々の10インチ(25cm)LPだったからで、53年録音もいいが47年録音の衝撃力ほどではない。冒頭の'I'll Remember April'から圧倒的名演が次々と続く。

バドの改革はビ・バップをピアノで演奏する技法をいち早く確立したことで、ベースとドラムスとのトリオで鮮やかにトランペットやサックスなどの管楽器が担っていたアドリブ・ソロのパートを弾いてみせた。ベースとドラムスとのトリオという編成も、ピアノによる単旋律のアドリブもバドによって初めて創案されたものだった。先輩のモンクよりも出世は早かった。年長のレニー・トリスターノはバドの技法からさらに複雑な音楽を生み出しバドに続く革新的ピアニストになる。

バドの生涯は精神疾患とのたたかいで、47年末から一年間は入院する。退院後は多くの充実した作品を残すが、51年夏に再入院。53年2月に退院するが、その後は極端に好調不調の波が激しく、晩年はほとんど演奏できず、41歳で肺結核と栄養失調から逝去する。
Jazz Giant(画像2)49.5/50.1-2
The Amazing Bud Powell Vol.1(画像3)49.8.8/51.5.1
-はその短い絶頂期のアルバム。次回で解説する。