人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

荒川洋治『夜明け前』

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七、八年前にちょっとした小林多喜二(1903-1933/獄中拷問死)リヴァイヴァルというか、出版ブームが起きたことがある。正確には多喜二の代表作『蟹工船』(1929)ブームで、同じ頃出版ブームだった「マンガで読む名作文学」でも『蟹工船』はヒット作となった。理由は簡単で、誰もが知っているが誰も読まない現代文学の古典だったからだ。北海道出身の共産党員の作者が、海上蟹肉缶詰製造工場船の苛酷な労働と反乱を描いた作品、と学校では習うが、読もうという奇特な読者はいない。
蟹工船』は面白い、と言い出したのは小説家の高橋源一郎ということになっている。同氏は武者小路実篤の詩に注目したことでも知られる。だがプロレタリア文学や実篤詩の稚拙な奇怪さも、高橋より十五年以上前に荒川洋治が着目していたことだった。

『夜明け前』荒川洋治

趣味だ
ぼくはプロレタリア文学
趣味で読むのでございます
と 書くと
津田孝さんあたりからひんしゅくを買うかもしれない
だが半世紀前の
プロレタリアの作品を
読み返す人など
五万人に一人もいないとすれば
趣味で読むことは
いま
たましいで読むことと変わりがあろうか

夜 仕事を終えた今日のひよわな活字プロレタリアート 三十六歳は
心をいやすため
かつての
プロレタリアートを利用する

この十年 男は読んだ
ここかしこドカンドカンと音出す岩藤雪夫
綿! 綿! の須井一
そして見えてくる
夕張の小山清
いい みんないい
ソビエットを行くボールペン里村欣三
林彪吾の 輸血! 輸血! 輸血!
いいぞ 悲しい 遠い みんないい
ぼくの午前三時は
失われた叫びで鍋のように
へこむ。
それはいま鍋のような
夢のような話ばかりだ

なぜ彼らの作品はかくも魅了するか
無知にさえ とどろくか……
カルピスをのみながら 考えない。
今夜も
趣味の名において
彼らの文学を選ぶ 考えない。
これはまた彼らにとり 鍋のような
夢のような話であるか

午前三時 三〇〇頁
あと一〇〇頁 まだまだ残る まだだ まだだ まだまだだ。
趣味は深夜に及ぶ
趣味だけが 深夜に及ぶのだ
鍋のようだ
夢のようだ

(詩集「ヒロイン」1986年)