人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補4b)ビル・エヴァンス(p)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

Bill Evans(1929-1980,piano)。
エヴァンスのマイルス・セクステット在籍は58年2月~11月で、キャノンボール(アルトサックス)とチェンバース(ベース)、フィリー・ジョー(ドラムス)とは親友になったが重圧は相当なものだった。エヴァンス自身が「あのバンドは超人集団だった。口をきいてくれないメンバーもいた」と証言している。結局エヴァンスはフィリー・ジョーとともに素行不良でクビになる。エヴァンスは一般的イメージとは大違いで、生涯自滅的な生活習慣から抜け出せなかった。

リーダー作第2弾、
Everybody Digs Bill Evans(画像1)58.12.15
-はマイルス、キャノンボールアーマッド・ジャマル(ピアノ)、ジョージ・シアリング(ピアノ)の直筆推薦文をジャケットにあしらい、エヴァンスはレコード会社に「ついでにうちのおふくろもどうだ」とむくれたそうだ。前作ではソロ・ピアノで'Walz For Debby'の初演を収めたが今回は'Peace Piece'を初演。エリック・サティ風の小品で、ジャズではギル・エヴァンスが編曲のクロード・ソーンヒル楽団くらいしか前例がない。モード・ジャズに発展していく萌芽として名高いが、アルバム全体ではフィリー・ジョーの貢献でスケールを拡大した。

次のアルバム、
Green Dolphin Street(画像2)59.1.19
-は77年まで未発表だったもので、不調な演奏に終ったチェット・ベイカーの'Chet'を録音後にエヴァンスとチェンバース、フィリー・ジョーのトリオが残って5曲6テイクを一気に演奏した棚からぼた餅的名盤。さすが素行不良トリオだけあり、肩で風切るような勢いがある。「チェット」ではバラード・テンポで失敗した'You And The Night And The Music'も快速調で見違えるような好演。即席アルバムだがそこがいい。

マイルスに呼び戻されて参加した、
Miles Davis:Kind Of Blue(画像3)59.3.2&8.22
-はエヴァンス抜きには成立しない大傑作になった。ライナーノーツもエヴァンス執筆だが、エヴァンス作曲の'Blue In Green'もマイルス作とされてしこりを残すことになる。これだからジャズの世界は油断がならない。