人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

つばめの巣2

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昨日の記事の続き。駅前郵便局の去年の貼り紙とつばめの巣は画像上・中の通りで、玄関正面に巣を作っていた。そこで郵便局も工夫して、今年は玄関の庇の対面にあたる位置に糞が散らない大きさの台を設置して巣づくりの便宜を図ったわけだ(画像下)。実によく考えた、立派な工夫だと感心する。つばめの巣づくりをこの郵便局では喜んで迎えているのだ。

ぼくはほのぼのタイプの読み物はあまり書かないのだが、そういう性格なのではなく身近にそういう題材が少ないからでもある。家族もおらず療養中で人づきあいは一切ない、という生活からよくぞブログ記事のための物種を集めてくるものだ、とわれながら呆れないでもないが、生活感に根ざしているのにどこか抽象性を免れないのは療養生活者の特質だろう。肺結核俳人石田波郷を思い出してもそういう面がある。

前回でぼくが初めて書いた俳句について触れ、それがつばめの句だったことも書いた。愛読している高浜虚子編「季寄せ」だとつばめは三月の季語になる。

・新しき黒き頭のつばめかな(虚吼)
・飛び貯る燕の声を打あふぎ(草田男)
・燕のゆるく飛び居る何の意ぞ(虚子)

一句目のさりげない観察力がいい。三句目は「つばくろ」と読ませるのだろう。この虚子編のミニ歳時記では、「燕帰る」は九月の季語。「帰燕」や「秋燕」も同義語になる。例句。

・わだつみにむれて燕の去ぬ日かな(章)

虚子の弟子でもっとモダンな水原秋桜子編「俳句歳時記」になると、季語の解釈や例句も多彩になる。

・春すでに高嶺未婚のつばくらめ(龍太)
・黒雲から黒鮮やかに初燕(草田男)
・燕来ぬ妻には妻の願あり(楸邨)

秋桜子編歳時記では「燕」「燕来る」は晩春の季語になるが、つばめでも「燕の巣」「燕の子」は初夏に分類される。「燕帰る」の項目はない(「燕の巣」に一括される)。

・巣燕や外は鏡のごとき照り(誓子)
・巣燕や眠りの夜へ藁垂らし(亮悦)
・山国の雨したたかに夏燕(春一)
・天窓の朝明けを知る燕の子(綾子)
・槻の空かく耀けり夏つばめ(悌二郎)

夏燕とは新緑の頃に生れ、夏のうちに巣立っていく一番子を指し、入れ違いの盛夏に二番子が孵化する。つまりつばめはひと夏に二度子育てをするわけだ。歳時記もなかなか勉強になる。