人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

エルモ・ホープ Elmo Hope - トリオ&クインテット Trio&Quintet (Blue Note, 1953, 1954)

エルモ・ホープ - トリオ&クインテット (Blue Note, 1953, 1954)

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エルモ・ホープ・トリオ Elmo Hope Trio - エルモ・ホープ・トリオ New Faces, New Sounds (Blue Note, 1953) Full Album : https://youtu.be/lzxeYO-UDK0
Recorded at The Van Gelder Studion in Hackensack, New Jersey, June 18, 1953
Released by Blue Note Records (10') BLP 5029, June, 1953
All compositions by Elmo Hope except as indicated

(Side 1)

A1. Mo Is On - 2:47
A2. Sweet And Lovely (Gus Arnheim, Jules LeMare, Harry Tobias) - 2:56
A3. Happy Hour - 2:50
A4. Hot Sauce - 3:50

(Side 2)

B1. Stars Over Marakech - 3:03
B2. Freffie - 3:02
B3. Carving The Rock (Hope, Sonny Rollins) - 2:53
B4. I Remember You (Victor Schertzinger, Johnny Mercer, Mark Fisher) - 2:44

[ Elmo Hope Trio ]

Elmo Hope - piano
Percy Heath - bass
Philly Joe Jones - drums

(Original Blue Note "New Faces, New Sounds" '10 LP Liner Cover & Side 1 Label)

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ルー・ドナルドソンクリフォード・ブラウンクインテット Lou Donaldson-Clifford Brown Quintet - ルー・ドナルドソンクリフォード・ブラウンクインテット New Faces, New Sounds (Blue Note, 1953) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_lgol8c00cf2YCY3wcTHulgxV40V5j5lhA
Recorded at WOR Studios, New York City, June 9, 1953
Released by Blue Note Records ('10) BLP 5030, June, 1953
All compositions by Elmo Hope except as indicated

(Side 1)

A1. Carving The Rock (Hope, Sonny Rollins) - 3:56
A2. You Go To My Head (J. Fred Coots, Haven Gillespie) - 4:19
A3. De-Dah - 4:51

(Side 2)

B1. Brownie Speaks (Clifford Brown) - 3:46
B2. Cookin' (Lou Donaldson) - 3:14
B3. Bellarosa - 4:14

[ Lou Donaldson-Clifford Brown Quintet ]

Clifford Brown - trumpet
Lou Donaldson - alto saxophone
Elmo Hope - piano
Percy Heath - bass
Philly Joe Jones - drums

(Original Blue Note "New Faces, New Sounds" '10 LP Liner Cover & Side 1 Label)

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エルモ・ホープクインテット Elmo Hope Quintet - エルモ・ホープクインテット Elmo Hope Quintet Volume 2 (Blue Note, 1954) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PL0q2VleZJVElRyhL5vCd2mGu4hWtAcKrb
Recorded at The Van Gelder Studion in Hackensack, New Jersey, May 9, 1954
Released by Blue Note Records ('10) BLP 5044, 1954
All compositions by Elmo Hope

(Side 1)

A1. Crazy - 4:15
A2. Abdullah - 3:33
A3. Chips - 3:45

(Side 2)

B1. Later For You - 3:59
B2. Low Tide - 4:09
B3. Maybe So - 4:22

[ Elmo Hope Quintet ]

Elmo Hope - piano
Charles Freeman Lee - trumpet
Frank Foster - tenor saxophone
Percy Heath - bass
Art Blakey - drums

(Original Blue Note "Elmo Hope Quintet Volume 2" '10 LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 モダン・ジャズ以前のジャズ・ピアノの典型にはブギウギ3大ピアニストのアルバート・アモンズ(1907~1949)、ミード・ルクス・ルイス(1905~1964)、ピート・ジョンソン(1904~1967)がおり、第二次大戦後のジャズまで長い楽歴とビ・バップまで及ぶ影響力を誇った巨匠としてアール・ハインズ(1903~1983)とアート・テイタム(1909~1956)を頂点とすれば、モダン・ジャズ・ピアノはビ・バップの創始者セロニアス・モンク(1917~1982)とモンクの愛弟子バド・パウエル(1924~1966)、白人バップ・ピアノの原点となったレニー・トリスターノ(1919~1978)の3人までは紛れもなく巨匠とされています。ですがモンクやパウエルの影に隠れて、モンクやパウエルと同時期にさらに異色のビ・バップ・ピアノを弾いていたのがパウエルの幼なじみだったエルモ・ホープ(1923~1967)であり、モンクの熱烈な支持者だったハービー・ニコルス(1919~1963)でした。ホープは自作12枚・参加作6枚を残していますが、ニコルスは発掘録音を含めても全録音がCD4枚に満たない不遇ピアニストでした。その代わりニコルスの再評価は没後20年を経た1980年代以降に着実に進みましたが、ホープの評価はいまだに定まりません。同時代にはホープもニコルスもレコードをリリースする先から廃盤になる不人気ピアニストでしかありませんでした。現在はモンク、パウエル、トリスターノでは尽くされない領域がホープやニコルスのアルバムにはあり、モンクからホープにいたる5人をビ・バップ五大ピアニストとする評価もあります。ただしモンク影響下から明快なスタイルを築いていたニコルスに較べ、とりとめのなさを感じさせるホープのスタイルは評価を一段下げている感は否めません。

 ウィキペディア日本語版にもホープには短いながら知名度の割には一応の項目があり、英語版ウィキペディアの10分の1以下の略述でしかありませんが(たとえばホープの生育環境や経歴、楽歴がごっそり省略されています)、一応これを押さえた上で詳細をつけ足していくのが良いでしょう。以下、日本語版ウィキペディアより引用します


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●概説
 エルモ・ホープ(Elmo Sylvester Hope, 1923年6月27日 - 1967年5月19日)はアメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト。主にビバップ様式やハードバップ様式で演奏を行なった。きわめて独創的なピアノ奏法や作品のために、支持者は多くないながらも、デイヴィッド・ローゼンタールのような評論家からは、バド・パウエルセロニアス・モンクと並ぶピアニストと看做されており、ハービー・ニコルスに匹敵すると論ずる向きもなくはないが、依然として他のミュージシャンよりも低い評価に甘んじている。
[ エルモ・ホープ ]
出生 ; 1923年6月27日
出身地 ; アメリカ合衆国
死没 ; 1967年5月19日(満43歳没)
ジャンル ; ビバップハードバップ
担当楽器 ; ピアノ

●略歴
 ジョー・モリス楽団に入団して音楽活動を開始する。1953年からニューヨークでリーダーとして録音を行い、ソニー・ロリンズルー・ドナルドソンクリフォード・ブラウンジャッキー・マクリーンのサイドマンとしても録音に携わった。チェット・ベイカーとも共演している。薬物使用のせいでニューヨークのジャズ・クラブ(キャバレー)への出演許可証を失ったため、1957年にロサンゼルスに移動する。ライオネル・ハンプトンと共演し、ハロルド・ランドやカーティス・カウンスと録音を行なった。リーダーとしては、フランク・フォスターやジョン・コルトレーンハンク・モブレーアート・ブレイキーポール・チェンバースフィリー・ジョー・ジョーンズと共演して録音を行なっている。録音のほとんどではトリオ編成を採っているが、稀にクィンテット編成を採る例もある。契約したレーベルは、ブルーノート・レコードやプレスティージ、リヴァーサイドなどであった。

 西海岸のジャズ界に幻滅して1961年にニューヨークに戻るが、薬物所持のために短期間投獄され、釈放後に演奏活動を再開した。録音はほとんどしなかった。1967年に薬物の過剰摂取のため急死した。

●後世への影響
ホープに影響されたビバップ様式のピアニストに、フランク・ヒューイットとサッシャ・ペリーの名を挙げることができる。ロズウェル・ラッドは自作の《希望 第2番(英語: Hope No. 2)》をホープの追憶に捧げた。ラッドはホープについて、「偉大で優れた作曲家。今なおアメリカの大きな秘密の一つ」と呼んでいる。モダン・ジャズのギタリスト、カート・ローゼンウィンケルは、講習会やインタビューの場で、ホープに影響を受けたと繰り返し語ってきた。

 バーサ(・ロザモンド)未亡人(Bertha Rosamond Hope, 1936年11月8日 - )もジャズ・ピアニストであり、1961年に夫と共演して録音しているが、結婚前にもホープの作品を録音して発表している。

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 悪くはありませんが重要な事項を多く取りこぼした略記です。ホープはカリブ移民の両親から生まれたニューヨークっ子で、黒人ですがアフリカ系黒人ではありませんでした。7歳からクラシックのピアノを学び、15歳でコンサート・デビューしています。近所に住む幼なじみ(同学年)のバド・パウエル(1924-1966)とはジャズやクラシックのレコードを貸し借りして語りあい、学びあう仲でした。ホープはマディソン・スクエアに住んでいましたが、17歳の時に強盗事件を捜査中の警官から誤認狙撃されています。ホープは誤解を説明して立ち去ろうとしましたが警官はホープを引き留めようと狙撃しました。弾丸は脊椎をかすめ、ホープは6週間入院の負傷を負い、人種偏見は明白でしたが、警察権によって警官の狙撃は正当とされました。1943年(20歳)に兵役登録されたホープは独身者とされましたが、実際は当時すでに内縁の夫人がおり、長男を設けるも亡くしていました。アメリカの第二次世界大戦参入の半年前にホープの徴兵期限は切れており、ホープは兵役を免れます。

 ジョニー・グリフィン(テナーサックス)の回想によると、40年代半ば~後半は若いビ・バップのミュージシャンはハーレムのモンク宅かブロンクスホープ宅(ピアノは運べないからそうなります)に毎日集まってはディジー・ガレスピー(トランペット)とチャーリー・パーカー(アルトサックス)の曲をジャムしていたそうです。ホープの初レコーディングはジョー・モリス(トランペット)楽団のSP盤で、1948年9月にアトランティック・レーベルに録音されたR&B曲でした。テナーにグリフィン、ベースにパーシー・ヒース、ドラムスにフィリー・ジョー・ジョーンズらを含むメンバーでした。モリス楽団でホープは1952年12月までに16回のSP録音(1回あたり標準4曲)の仕事をしますが、グリフィン、ヒース、フィリー・ジョーらは1949年には次々とビ・バップのミュージシャンに転身していき、ホープだけがジャズマンになれずにR&B業界でうだつが上がらずにいました。モンク、パウエルらは1947年にはすでに自己名義のレコードを持つ最先端のジャズマンでした。

 転機が来たのはクリフォード・ブラウン(トランペット)のブルー・ノート・レーベルへの初レコーディング(1953年6月9日)で、ブラウンは普段ジャムセッションし、クラブ出演しているレギュラー・バンドでの録音を望みました。ブラウン、ホープ以外はルー・ドナルドソン(アルトサックス)、ヒース(ベース)、フィリー・ジョー(ドラムス)という勝手知ったるメンバーで、10インチLP全6曲中ホープ作品3曲、ブラウンとドナルドソンが1曲ずつ、スタンダード1曲が収録されました。ブルー・ノートはホープの才能を買い、念願のエルモ・ホープ・トリオ(ベース=ヒース、ドラムス=フィリー・ジョー)の録音が6月18日に早くも行われます。全9曲中ホープ作品7曲(1曲のみテナーのソニー・ロリンズとの共作)、スタンダード2曲(うち1曲は10インチLP未収録・没後発表)とますます作曲の才を見せつけ、ブルー・ノートはエルモ・ホープ・トリオをBLP5029、ブラウン&ドナルドソン・クインテットをBLP5030と録音の逆順に『New Faces, New Sounds』姉妹作として翌1954年6月にリリースします。それに先立つ5月9日にはフリーマン・リー(トランペット)とフランク・フォスター(テナー)にヒースのベース、アート・ブレイキーのドラムスのクインテットで全6曲新曲オリジナルの録音が行われます。ブルー・ノートへの録音は1954年8月22日のルー・ドナルドソンクインテットでの4曲が最後になりましたが、そこでも新曲1曲を提供しており、ブルー・ノート・レーベルでの4回・25曲の録音で20曲の自作オリジナル曲を提供・披露したことになります。これらはホープの生涯で何度も再録音されるエルモ・ホープ・スタンダードになりました。

 ただしブルー・ノートも調子が良いもので、ブラウン&ドナルドソン・クインテットの成功にさらに欲を出して、ホープ、ヒース、フィリー・ジョーの代わりにアート・ブレイキー(ドラムス・1919-1990)をリーダーにし、パーカー・クインテット出身のカーリー・ラッセルをベース、さらにスタン・ゲッツ・カルテットの新鋭ピアニストだったホレス・シルヴァーの3人をリズム・セクションに総入れ替えし、アート・ブレイキークインテットとして10インチLP3枚におよぶライヴ・レコーディング『バードランドの夜(A Night at Birdland Vol. 1-3)』で華々しく再デビューさせました。ホープらは体よく弾かれた格好で、パーシー・ヒースは後にモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)、フィリー・ジョーはマイルス・デイヴィスクインテットでジャズ界最高のエリートになります。ですがエルモ・ホープにはこれがケチのつき始めで、以降1956年までに録音仕事は5回きりしかなく、それではミュージシャン専業だけで生活できません。その間ホープは貧窮を極めていました
Sonny Rollins/Moving Out (Prestige, rec.1954.8.18)
・Elmo Hope Trio/Meditations (Prestige, rec.1955.7.28)*新曲5曲
・Elmo Hope-Frank Foster Quintet/Hope Meets Foster (Prestige, rec.1955.10.4)*新曲3曲
Jackie McLean/Lights Out! (Prestige, rec.1956.1.27)
・Elmo Hope Sextet/Informal Jazz (Prestige, rec.1956.5.7)*新曲2曲

 1956年4月26日にホープジーン・アモンズの『The Happy Blues』録音に呼ばれていましたが姿を現さず(デューク・ジョーダンが代役ピアニストを勤めました)、入院中の伯母の見舞いに行っていたと釈明しましたが、実際は薬物依存の障害によるすっぽかしでした。ホープに依頼される仕事が少なかったのも同じ理由から敬遠され、類犯検挙を警戒されていたことによります。同年ついにホープは素行(薬物使用・売買)問題からジャズ・クラブ出演許可をニューヨークのミュージシャン組合から禁止・謹慎処分されてしまいます。そして仕事はなくても顔だけは広いホープはディーラーに目をつけられて、それ以前からちょくちょくしていた密売人のアルバイトを受けて翌1957年のロサンゼルス移住まで食いつなぐことになります。マイルス・デイヴィス(1926-1991)逝去前年の自伝にも「薬を切らすとエルモ・ホープから買った」と証言があります。またマイルスは同自伝で自分を含めるニューヨークのジャズマンが一斉検挙を食らった時、「(本人が亡くなった)今だから言うが、アート・ブレイキーが自白したからだ」とも証言しています。

 仕事を求めてロサンゼルスに移住したホープクリフォード・ブラウン(1956年に交通事故死)の旧友のテナー奏者ハロルド・ランドのバンドや、ランドの所属するカーティス・カウンス(ベース)・グループのピアニストのカール・パーキンス急逝去(ODによる、1958年・享年29歳)後のピアノを兼務していましたが、ロサンゼルス時代の2年間・8回のレコーディングでは、1959年2月8日録音で全8曲中7曲が新曲オリジナルの『Elmo Hope Trio』、新曲4曲を提供した8月(日付不明)録音のハロルド・ランドクインテット『The Fox』の2枚のハイ・ファイ・ジャズ・レーベル盤がのち1970年にコンテンポラリー・レーベルから新装発売されて、ホープの楽歴の第2のピークだったのが判明しました(他に3曲の新曲があります)。ですがそれらも発売当時はマイナーなインディー・レーベル盤としてまったく反響はなく、1960年には再婚したばかりでまだロサンゼルスにとどまっていましたが、翌1961年初頭には新夫人と女の子の新生児とともにニューヨークに戻ってきます。ホープは38歳、余命はあと5年しかありませんでした。続きは次回にお送りします。今回はホープが期待の新人だった頃の10インチLP3枚をご紹介します。ホープ(とフリーマン・リー)以外は全員が出世したハード・バップ初期の記念碑的アルバムです。この時点ではホープセロニアス・モンクバド・パウエルに並ぶ可能性があったのです。ぜひ音楽を聴いていただきたく思います。