人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

エルモ・ホープ・トリオ Elmo Hope Trio - メディテーションズ Meditations (Prestige, 1955)

エルモ・ホープ・トリオ - メディテーションズ (Prestige, 1955)

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エルモ・ホープ・トリオ Elmo Hope Trio - メディテーションズ Meditations (Prestige, 1955) Full Album : https://youtu.be/fW5tCyX7xgc
Recorded at The Van Gelder Studio, Hackensack, July 28, 1955
Released by Prestige Records PRLP 7010, 1955
Produced by Bob Weinstock
All compositions by Elmo Hope except as indicated

(Side A)

A1. It's a Lovely Day Today (Irving Berlin) - 2:56
A2. All the Things You Are (Oscar Hammerstein II, Jerome Kern) - 3:38
A3. Quit It - 2:53
A4. Lucky Strike - 2:38
A5. I Don't Stand a Ghost of a Chance with You (Bing Crosby, Ned Washington, Victor Young) - 3:22
A6. Huh - 4:55

(Side B)

B1. Falling in Love with Love (Lorenz Hart, Richard Rodgers) - 4:24
B2. My Heart Stood Still (Hart, Rodgers) - 3:46
B3. Elmo's Fire - 6:40
B4. I'm in the Mood for Love (Dorothy Fields, Jimmy McHugh) - 3:22
B5. Blue Mo - 4:24

[ Elmo Hope Trio ]

Elmo Hope - piano
John Ore - bass
Willie Jones - drums

(Original Prestige "Meditations" LP Liner Cover & Side A Label)

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 ビ・バップの不遇ピアニスト、エルモ・ホープ(1923-1967)の略歴については前回ブルー・ノート・レコーズでのアルバムをご紹介した際に述べましたが、R&B楽団で次々と同僚たちが念願のジャズ界に進出していくかたわら1953年6月までジャズマンとしてのデビューが遅れ、しかも名門ブルー・ノート・レコーズでクリフォード・ブラウン(トランペット)、ルー・ドナルドソン(アルトサックス)、パーシー・ヒース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)という未来のオールスター・クインテットでメイン・ソングライターを勤めながら、ホープを除くメンバーたち全員の出世を尻目にホープ自身は4回のレコーディングで25曲、うち20曲ものオリジナル曲を提供しながら、1954年8月のルー・ドナルドソンセクステットでのレコーディングを最後にブルー・ノートとの契約を打ち切られてしまいます。ホープが次の契約を結んだのはプレスティッジ・レコーズで、プレスティッジは同じニューヨークのジャズのインディー・レーベルでもブルー・ノートよりはるかに低予算で粗製濫造で知られるレーベルでした。先輩ピアニストのセロニアス・モンクもブルー・ノートで芽が出ずプレスティッジ・レコーズに移籍を余儀なくされ、1952年~1954年の2年間の契約で6回しかレコーディングの機会を与えられませんでしたが、ホープもブルー・ノートでの最後のセッションの直前の1954年8月から1956年5月までのプレスティッジ・レコーズでの2年間の契約期間中に、
Sonny Rollins/Moving Out (Prestige, rec.1954.8.18)
・Elmo Hope Trio/Meditations (Prestige, rec.1955.7.28)*新曲5曲
・Elmo Hope-Frank Foster Quintet/Hope Meets Foster (Prestige, rec.1955.10.4)*新曲3曲
Jackie McLean/Lights Out! (Prestige, rec.1956.1.27)
・Elmo Hope Sextet/Informal Jazz (Prestige, rec.1956.5.7)*新曲2曲

 の5回のレコーディングしか起用されませんでした。これも前回触れましたが、プレスティッジでの最終録音になった1956年5月7日録音の『Informal Jazz』に先立つ1956年4月26日にホープジーン・アモンズの『The Happy Blues』の録音に姿を現さず(デューク・ジョーダンが代役ピアニストを勤めました)、入院中の伯母の見舞いに行っていたと釈明しましたが、実際は薬物依存の障害によるすっぽかしでした。ホープに依頼される仕事が少なかったのも同じ理由から敬遠され、類犯検挙を警戒されていたことによります。同年ついにホープは素行(薬物使用・売買)問題からジャズ・クラブ出演許可をニューヨークのミュージシャン組合から禁止・謹慎処分されてしまいます。そして仕事はなくても顔だけは広いホープはディーラーに目をつけられて、それ以前からちょくちょくしていた密売人のアルバイトを受けて翌1957年のロサンゼルス移住まで食いつなぐことになります。

 ロサンゼルスではエルモ・ホープハロルド・ランド(テナーサックス)のバンドに在籍しつつピアノ・トリオのアルバムも制作しましたが、ともに西海岸のインディー・レーベル、ハイ・ファイ・ジャズ・レコーズからのリリースで当時まったく反響を呼びませんでした。ハロルド・ランドも「ピアニストとしては難があるが、作曲は素晴らしかった」とホープ没後に発言しているように、ホープは管楽器入りのバンドでは非常に不器用で、デビュー録音になったレギュラー・バンドのブラウン&ドナルドソン・クインテットはまだしも、プレスティッジでのソニー・ロリンズジャッキー・マクリーン、さらにエルモ・ホープクインテット名義ながらジョン・コルトレーンハンク・モブレーの2テナーがフロントを勤めた『Informal Jazz』ではほとんど存在感がありません。またホープのオリジナル曲は先輩セロニアス・モンク、モンクに兄事したホープと幼なじみのバド・パウエルにも引けをとらず、ブルースや循環、スタンダード曲の改作に拠らないオリジナルなコード進行ではモンクやパウエルを凌駕するものでしたが、ピアノ・トリオでもどこか歯切れが悪くタッチが弱いのです。全11曲中モンクやパウエル、レニー・トリスターノらと重複するバップ・スタンダード6曲、オリジナル曲5曲を収めた本作『メディテーションズ』でもこれを聴くとモンクやパウエル、トリスターノがスタンダード曲でもオリジナル曲でもいかに強靭で思い切りの良い演奏をする巨匠ピアニストだったかを思い知らされるもので、ホープの演奏も決して悪くなく、この気弱なタッチがホープらしいと言えるものですが、ホープがモンク、パウエル、トリスターノら第一線級のピアニストにはおよばなかったのもうなずけます。ベースに'60年代以降モンクやパウエル、'70年代~'90年代までサン・ラと共演することになるジョン・オール、ドラムスに本作以外ではプレスティッジ時代のモンク、『Mingus At The Bohemia』『Pithecanthropus Erectus』の時期のチャールズ・ミンガス、『The Modern Art of Jazz』のランディ・ウェストン、『The Futuristic Sounds of Sun Ra』のサン・ラ(ゲスト参加)以外に約5年間の活動期間しかないウィリー・ジョーンズというジャズ界裏街道的メンバーなのもブルー・ノートでの初のトリオ作品でのパーシー・ヒースフィリー・ジョー・ジョーンズとは対照的な本作は1966年のラスト・レコーディングまで生涯モンクやパウエルの影に隠れてうだつの上がらないビ・バップ・ピアニストだったホープ第二の出発を象徴するような地味で内省的なピアノ・トリオ・アルバムで、同年録音のレニー・トリスターノの『鬼才トリスターノ(Tristano)』やハービー・ニコルスの『ハービー・ニコルス・トリオ(Herbie Nichols Trio)』とともに主流ビ・バップ~ハード・バップ以外の方向にジャズ・ピアノが向かったかもしれない可能性を示すものです。エルモ・ホープはのちにやはり生前まったく注目されなかったピアノ・トリオの名盤『Elmo Hope Trio』(High-Fi Jazz, 1959)、『Here's Hope!』(Celebrity, 1961)、『High Hope!』(Beacon, 1961)を残し、没後10年を経て発表された1966年録音の『Last Sessions Volume 1』『Volume 2』(Inner City, 1977)を集大成として世を去りますが、それらもブルー・ノート作品と本作が起点となっているのです。