人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補8b)セシル・テイラー(p)

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Cecil Taylor(1929-,piano)。
アメリカの音楽サイトAllmusicのセシル・テイラーの項目は「彼の音楽は万人向けではない」と始まる。テイラーはバド・パウエルセロニアス・モンクの正統的な後継者だが、バドへの「モダン・ジャズ・ピアノの開祖」、モンクへの「もっとも重要なジャズマン」という評価に対して、テイラーは重要性や革新性を早くから認められながらも、ジャズの主流からは異端的存在とされてきた。
ちなみにカルテットやバンドではなくユニットという名乗りをあげたのもテイラーが初めてだが、セシル・テイラー・ユニットのメンバーは生計はどうしていたのだろうか。

ユニットのメンバーは50年代はビュエル・ネイドリンガー(ベース)とデニス・チャールズ(ドラムス)とのトリオが基本だった。50年代のテイラーは一作ごとにレコード会社が変わるが、UAレコード社からの、
Hard Driving Jazz(画像1)58.10.13
-は一種の企画盤で、ベースとドラムスもユニットのメンバーではなく、フロントはケニー・ドーハム(トランペット)とジョン・コルトレーン(テナーサックス)というハード・バップ・セッションだった。テイラーのアルバムなのにテイラーのアルバムとは言えないが出来は悪くなく、60年代の再発以来ジョン・コルトレーン名義の「コルトレーン・タイム」として版を重ねている。

UA社とは二枚契約だったようで、次の、
Love For Sale(画像2)59.4.15
-はA面3曲をピアノ・トリオのコール・ポーター曲集で、B面2曲(CDは1曲追加)はトランペットとテナーサックスを加えたクインテットのオリジナル曲集で固めた力作。前作は例外としてアルバム一作ごとに着実に演奏の密度を高めてきたのがわかる。

テイラーの将来性を決定的に印象付けたのは、ヘンホフの立ち上げたキャンディド社から発売された、
The World Of Cecil Taylor(画像3)60.10.12&13
-だった。オーネット・コールマンのニューヨーク・デビューの成功でフリー・ジャズ自体が注目を集めた時期にあたる。テイラーとオーネットはまったく異なる音楽性で対照をなしたがそれも含めて、デビュー作以来ついにすっきりとテイラー自身のスタイルを確立した感がある。