人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

離婚のいきさつ(2)

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小児科医院では一般的に男親の付き添いは信用されない。徒歩圏内で数軒ある小児科医院のうち、どこを娘たちのホームドクターにするかを、夫婦で意見が一致するまであちこち受診してみたが、男親が幼児を受診させても家庭での病状の報告に耳を貸さない医師が多かった。どうせ家では男親は子どもの様子など見ていないだろう、という態度が露骨だった。

ぼくは沐浴、おむつ替え、着替え(乳児の着替えはデリケートな作業だ)からミルクの調合、離乳食の調理はもちろん、散歩や遊び相手、寝かしつけまでやっていた。もちろんその合間に掃除や洗濯始め家事万端もしていた。

幸い良い医院を見つけることもできた。ぼくや妻と同年輩のご夫婦で内科と小児科を兼ねた医院だった。他の医院はもっと年配の医師で皮膚科、耳鼻咽喉科、歯科なども年配の医師ほど高圧的な態度の医院が多かった。旧態依然というものだろう。

次女が生れ、保育園に通うようになったのは、妻が勤める郵便局が民営化移行の準備で次第に過酷な業務を強いられ始めた時期と平行していた。保育園に通える時期とは乳児の免疫力が一定の位置まで低下する時期と一致する。人の一生では母乳を飲んでいる時期がいちばん免疫力が強く、離乳食の時期から低下して一定の位置に止まる。

集団保育の利点は知覚力の発達に大きいが、病気を感染しやすいというリスクもある。まして幼児は呼吸器が弱いので、潜在的に気管支炎の素質を持っている。ぼく自身が小学校低学年までは耳鼻科に吸入に通っていた。成長すれば大半が治り、長女も五歳頃には気管支炎はほぼなくなった。

そのかわり次女と長女で代わるがわる家庭内感染しあう、という問題が生じてきた。妻のような都心の特定郵便局勤めは九時~五時では仕事は片づかない。娘たちが朝食を終えないうちにぼくの作ったお弁当を持って出ていき、帰宅時間はまるで読めない。

次女が気管支炎から気管支喘息に進み、ついに肺炎になって一週間入院した時はつらかった。入院までに三週間保育園を休ませ通院看護し、毎日のように点滴を受けていたのに食い止められなかったのだ。

長女は元気に保育園に通っていた。次女の入院が決定したら「最初から大きな病院に診てもらっていたらよかったのに」と保母さんのひとりに言われた。次女の入院中、長女はなんとなく嬉しそうだった。