人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

60年代ロック(10)ビーチ・ボーイズ

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当時もっとも「セックス、ドラッグ&ロックン・ロール」を体現していたバンドがザ・ビーチ・ボーイズだった。舞台裏の乱脈ぶりは70年代のツェッペリン、キッスが名高いが、ストーンズ同様イメージ作りによる誇張が大きかった。だが、ビーチ・ボーイズは静かに狂っていた。ヴォーカルのマイク・ラヴ、ドラムスのデニス・ウィルソン、そして誰よりもリーダーのブライアン・ウィルソンがそうだった。

ビーチ・ボーイズはブライアン(ベース、ヴォーカル)とデニス、カール(ギター)のウィルソン三兄弟が従兄のマイク・ラヴ、友人のアル・ジャーディン(ギター)を誘って結成したアマチュア・バンドだった。自然発生的な成り立ちではビートルズと同様だった。だが、メジャー・デビュー前すでに百戦錬磨のバンドだったビートルズに対し、ボーイズはパーティー・バンド程度の経験しかなかった。
ウィルソン兄弟の父は元々ミュージシャン志望で、息子たちのマネージャー兼プロデューサーになり、当時西海岸では最新流行だったサーフィンを題材に、メンバー中で唯一のサーファーだったマイクに作詞させ、ブライアンが作曲して、インディーズからローカル・ヒットさせる。62年10月大手キャピタルからファースト・アルバムをリリース。63年に3枚、64年に4枚、65年3に3枚のアルバムを発表し、「ペット・サウンズ」66.5の後『グッド・ヴァイブレーション』を大ヒットさせたものの新アルバム制作に行き詰まり、次の「スマイリー・スマイル」67.9からの5作は(60年代最後の「20/20」69.2を除き)曲の体裁をなさない断編の集積のような、奇妙な作品群となった。

第2作「サーフィンU.S.A.」63.3の大ヒットでボーイズはツアーに追われる存在となり、第3作目の「サーファー・ガール」63.7は、コーラス以外はすべてブライアンがセッションマンを使って制作したアルバムになる。西海岸の音楽業界ではツアー・バンドとスタジオ・バンドの並立(ヴェンチャーズ、アストロノウツ等)は常識だった。ライヴ盤(64.10)のヒットの後ブライアンはレコード制作専念を決意し、「サマー・デイズ」65.6からはブライアン・ジョンストンが正式メンバーに加わる。

この過程で過労と薬物中毒からブライアンは統合失調症を発症する。「ペット・サウンズ」は断末魔のようなアルバムだった。