人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

療養日記・9月6日(金)曇り

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滅多にないことだが、たまにはぼくだってスウィーツの写真くらい載せたっていいだろう。このプリンとアイスクリームは、いつの間にかローソンでポイントが貯まっていたので景品にもらってきたものだ。甘いものを食べるのは今年はヴァレンタイン・デイにいただいたチョコレート以来になる。ぼくは三食の食事以外の間食はまったく摂らないのだ。学生時代に極貧生活を送ったからかもしれない(ぼくの両手の親指の爪は当時の栄養失調のなごりで湾曲している)。

昨日はやっぱりハードだったようで、朝起きたら全身に疲労がまわっているのがわかってふらついた。リコメントを引用する。

「コメントありがとうございます。長女は中学三年、15歳になりました。もう六年も会っていないので、小三→中三ではどんな成長ぶりか想像もできません(電話すらありません)。親としてはアバズレでもお嬢さまでもいい、元気であってくれれば、と思います。
雨風の中、五キロ以上の荷物をリュックに背負って傘をさし二時間の行脚はしんどかったです。メンタル的にも安定していなければとても無理でした。ぼくは障害二級から突然三級に落とされて経済的に苦しくなりましたが、こうなると無理にでも空元気を出さざるをえないわけです」

満六年前、2007年9月6日はぼくが初めて被告席に立った日だった。これもメールのかたちで語ろう。

「ぼくを憶測だけで有罪とした人たちは、その人自身がそういう人間なのだ、と思います。鏡を見てものを言っているだけです。ぼくは完全な冤罪で立件が成立した時点で、法律が性悪説で成り立っている以上、有罪は逃れられないことを悟りました。火のないところに煙は立たず、とか、仮に抗弁したところで、ぼくにばかり都合よく話ができすぎている(ならばぼくに冤罪をかけた司法の方こそどうなのでしょうか?)と言われるだけです。
ぼくはクリスチャンとしての信念だけで耐え抜いたようなものでした。人の裁きは単なる人の裁きでしかなく、真の裁きは主の御心にあり、信仰さえ手離さずにいればいつか計いがある、と。これがぼくが四か月の未決囚体験と有罪判決(初犯として実刑はなし、ただし懲役二年執行猶予四年)から学んできたことです」

9月7日からぼくは独房を志願して生活計画を立て、13日の判決で釈放された。逮捕は5月23日だった。蝉の声を聞かない夏だった。