人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

クワガタムシの観察

今日、インスタント・コーヒーの空き瓶を挟んで風通しを良くした玄関の土間にまだ小さなクワガタムシが入り込んでいるのを見つけた。小指の第二関節にも満たない全長で、CDのケースほどの厚みもない。あまりに平べったいので、最初はゴキブリかと思ったくらいだ。
そいつはひっくり返って無駄に肢をばたばたさせていた。玄関と土間の段差を越えた時に転覆してしまったらしい。カフカの「変身」を思い出した。羽を開けば体が傾斜して自力で起き上がれるはずだが、そこまで知恵が回らないのか、羽の力ではまだ自分の体重を持ち上げられないのか、どちらか-あるいは、その両方だ。

カフカはドイツ語で書いたチェコ人だったが、やはりドイツ語圏のオーストリアにローベルト・ムジールという同時代の作家がいる。3000ページも書いてまだ未完という怪作「特性のない男」(冒頭の設定から物語はまったく進展せず、巻末は作者の構想メモの羅列で終る。文学読んだなあ、という満足感が得られる)で知られる作家だが、ナチスの台頭で亡命の必要に迫られ「生前の遺稿集」と題した小品集を刊行した。
巻頭の『蠅取り紙』という三ページの小品が素晴らしい。蠅取り紙に貼り付いてしまった蠅が、完全に身動き取れなくなるまでを、あらゆるレトリックを駆使して微分的に描写している。-「ある無が、ある物が、蠅を内側に引っ張り、とても追えないほどゆっくり、そして大抵は最後に急テンポで、決定的な内的崩壊が蠅を襲う」こういう分析的発想はゲルマン系ならではで、スラヴ系にもラテン系にもアジア系にもない。

なので、ゲルマン人ではないぼくは観察は「なんだこりゃ」くらいで切り上げ、小さな甲虫を傷つけないようにそっとひっくり返した(なにしろ肢などまつげくらいの太さしかないのだ)-のだが、この虫はどこへ進みたいのか自分でもわからないらしく、土間から部屋の中に入ってくるでもなく、扉のすきまから出ていこうとするでもなく、かといってうずくまっているのでもなく、ぼくに置かれたそのままの場所でただ単に足踏みをしている。うかつに動くとまたやばいことになる、とでも思っているのだろうか。
仕方なく玄関の外に置くとまた敷居を登ってこようとする。あきれて渡り廊下から外に放り投げた。あの大きさでは季節には遅い。草の露でも吸って生きるのだろうか。幸運を祈る。