(1)他人事だと笑えますけど自分のことだったら笑うどころじゃないですね。ぼくも娘ふたりでしたので女児はたくさん観察してきましたが、そこまで強烈な子はいなかったなあ。大和撫子だから?でも、どんな集まりでも親同伴でなくて平気で、こっちがかえってハラハラする…という子はいましたね。
(2)ぼくはたいして苦労はしていません。自分の陥っている状況を、しかるべき機関を見つけ出してなんとかやってきました。離婚後すぐ入獄させられひと夏まるごと囚人生活を送りましたが、体力と気力は取り戻しました。再就職活動は実を結びませんでしたが生活保護申請をし精神科を受診する、という切り札がありました。以来ぼくは就労不可能な精神障害者として福祉・医療制度の保護で生活しています。
昔フリーライターをやっていたのも食いつめていたらあちこちの知り合いの編集者から依頼が来るようになったからです。「同じ所に同じ時間に毎日通う」という仕事がぼくには苦手でした。だからフリーライターは性に合いました。
結婚生活の最後の二年間にはもう発症していた、と思います。全歯の摩滅、毎日のパニック発作、胃腸炎と気管支炎。近所に買い物に出て帰れなくなる、など。腹部はいつも鈍痛で張り、血便の下痢が続きました。肺には化膿した痰がいつも溜っていました。
決定的に娘の友だちのお父さんの自殺がぼくの症状を加速させました。そちらも奥さんが民営化移行期の郵政職員で、家事も育児もお父さんが一手に引き受けていたのでしょう。
離婚後、歯はすべて治療でき、パニック発作も徐々になくなり、気管支炎も胃腸炎も自然に治りました。四度も入退院して療養に専念することもできました。だからぼくは家庭を失った代わりに得たものも大きいのです。
(3)以前「カフカ小品集」というのをやりましたが、カフカにはいつまでも続く停滞・待機をテーマにした一連の作品があって、最大の遺作長篇「城」(発表1926)は仕事を依頼され城に赴いた技師がいつまでたっても城に入れてもらえず、年月が経つに城下町の住民になってしまう、という喜劇でした。乾直惠の『午後』はカフカ小品中の『橋』や『プロメテウス』にテーマも具体的な題材・叙述方法も似ています。ただし乾はカタストロフを避けています。そこがカフカと大きく異なります。