人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#13.承前『エピストロフィー』

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この、「モンクス・ミュージック」版の『エピストロフィー』がボツ録音のリテイクにならなかったのは、リヴァーサイドが定評ある優良レーベルとはいえ会社としては弱小インディーズだったことにも原因があるだろう。実質的にオリン・キープニーズという社長兼プロデューサーが一人できりもりしている会社で、モンクもビル・エヴァンスキャノンボールウェス・モンゴメリーもそんな個人レーベルから名声を確立する傑作を連発したのだった-が、モンクは扱いづらいアーティストだった、と、キープニーズは回想録でぼやいている。不発に終ったブルーノートでのデビューからキープニーズはジャズ雑誌にモンクを賞賛する記事を寄稿していた。ついに自分のレコード会社を立ち上げ、当時プレスティッジ社で冷遇されていたモンクの前借り金の清算までしてリヴァーサイドに引き入れた。ところがモンクもモンクと組んだジャズマンも気まぐれで自分勝手にふるまう。明らかに、白人であるキープニーズへの反抗心があった。

リヴァーサイドは弱小インディーズだからアルバムの制作予算も自転車操業だった。エヴァンス、キャノンボール、ウェスらは遅刻もせずに来て、OKテイクだけでなく予備テイクも録音した。ところがモンクは遅刻どころかすっぽかしすらあり、スタジオ使用予算を使いきってもOKテイクが不足することすらあった。
傑作「ブリリアント・コーナーズ」のタイトル曲はあまりの難曲に完奏テイクが一つもなく、キープニーズが10箇所以上をテープ編集して仕上げたという。10年後、オムニバス・ライヴ盤「ニューウェイヴ・イン・ジャズ」でチャールズ・トリヴァーのグループは同曲を完璧に決めている。モンクの音楽は10年先を行っていた。

だから「モンクス・ミュージック」の録音には予備も含めて二日分のスタジオ予約をしてあった。ところが初日に、モンク本人が来なかったのだ。ミュージシャンたちにギャラは発生するしスタジオ代も同様。仕方なしに、ブルースのジャムセッションを録音した。
本来なら、二日あればミスのないOKテイクも録音できただろう。これだけの豪華メンバーでなければギャラとの調整で追加録音を検討することもできた(「ブリリアント・コーナーズ」では、曲不足からそうしている)。だが多忙な大物・中堅ゲストを再招集するのは無理だった。そして珍プレイはやむなくレコード化された。