リヴァーサイドは弱小インディーズだからアルバムの制作予算も自転車操業だった。エヴァンス、キャノンボール、ウェスらは遅刻もせずに来て、OKテイクだけでなく予備テイクも録音した。ところがモンクは遅刻どころかすっぽかしすらあり、スタジオ使用予算を使いきってもOKテイクが不足することすらあった。
傑作「ブリリアント・コーナーズ」のタイトル曲はあまりの難曲に完奏テイクが一つもなく、キープニーズが10箇所以上をテープ編集して仕上げたという。10年後、オムニバス・ライヴ盤「ニューウェイヴ・イン・ジャズ」でチャールズ・トリヴァーのグループは同曲を完璧に決めている。モンクの音楽は10年先を行っていた。
だから「モンクス・ミュージック」の録音には予備も含めて二日分のスタジオ予約をしてあった。ところが初日に、モンク本人が来なかったのだ。ミュージシャンたちにギャラは発生するしスタジオ代も同様。仕方なしに、ブルースのジャムセッションを録音した。
本来なら、二日あればミスのないOKテイクも録音できただろう。これだけの豪華メンバーでなければギャラとの調整で追加録音を検討することもできた(「ブリリアント・コーナーズ」では、曲不足からそうしている)。だが多忙な大物・中堅ゲストを再招集するのは無理だった。そして珍プレイはやむなくレコード化された。