人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#26.脱線『イエスタデイズ』

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前回で、60年代後半のブリティッシュ・ロック界へのジャズの影響力として、マイルス・デイヴィスクインテットジョン・コルトレーン・カルテット、オーネット・コールマン・カルテットを三大バンドとして上げた。チャールズ・ミンガスの音楽も同じくらい大きな影響を与えたが、ベーシスト兼リーダーで作曲家のミンガスのバンドはメンバーは流動的だった。

(余談だが当時ジャズは基礎教養で、一例『ジョン・ポール・ジョーンズ』はコルトレーン作曲のマイルスのレパートリー曲名でコルトレーンのジョン、チェンバースのポールに加えフィリー・ジョーのジョーンズを併せたのが由来。55年~58年のマイルスの黄金クインテットのメンバーだったから。レッド・ガーランドが入っていないのはガーランドだけアレをやっていなかったからか、アルバムでは単に『トレーンズ・ブルース』と改題されたと知られる。こんなことも当時ブリティッシュ・ロック界では言わなくても通じる知識だった)。

だが1970年にはニューヨークのフィルモア・イーストソフト・マシーンの前座にマイルス・クインテットが出演させられる、というご時世になり、当時幼稚園児だったぼくが父の会社の社宅(にうちも住んでいた)に下宿していた大学生のおにいさんに初めて聴かせてもらったジャズの印象は、擬音で言うなら「ぐぎゃーん、ぶおーん、だだだん」と、目茶苦茶な騒音にしか聴こえなかった。五歳児の頃にはぼくの聴くモンクやドルフィーを楽しんで聴いていた長女とえらい違いがある。

今回は最初から『イエスタデイズ』とは直接関係ない話題から始めてしまったのでこのまま進めるが、ぼくの場合は英語圏以外のヨーロッパのロック、いわゆるユーロ・ロックを一巡しなければジャズもクラシックも楽しむ耳が養えなかっただろう。クラシックに関しては音楽史のパースティクティヴを理解して初めて面白さがわかった。また、影響力の相位関係では、ユーロ・ロックは英語圏ロックとジャズとクラシック(現代音楽まで含む)が雑多に配合されたもので、国際的なアピールを狙ってか器楽音楽としての傾向が強い。フォーカス(オランダ)のギタリスト、ヤン・アッカーマンはイギリスの音楽雑誌で年間No.1に選ばれて「クラプトンを抜きましたね」と感想を求められて一言、「私は王立音楽院卒だ。ブルース・ギタリストと一緒にするな」。いいぞ(笑)。