人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#19.承前『ウェル・ユー・ニードント』

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あちこちのジャムセッションに毎週のように通ったのはほぼ一年間だが、ぼく以外にモンクの曲を演奏する人がいても『ストレート・ノー・チェイサー』一曲に限られていて、別にモンクである必然性はないように演奏されていた(テーマ部の半音階は難しいが)-モンクは一部の曲は例外としても12小節×2のブルースか、AABA32小節で作曲している。だが、ブルースでも『ブルー・モンク』にはトリッキーなシンコペーションがあり、『ミステリオーソ』の6度音程の昇降などは手癖ではできない。半音階こそあれ明瞭なブルース『ストレート~』がよく演奏されるのはわかる。

形式的には、リズム・セクションが混乱さえしなければホーン奏者がテーマをこなせるかにかかっているともいえる。だから高田馬場イントロでジャズ研のソプラノサックス奏者と組まされた時には、
「いいけどテーマはお前が吹けよ。言い出したのはお前なんだから」
と大学生にお前呼ばわりされた。そいつはソロだけ吹いた。
後日彼がワンホーンで吹いているのを観たら、とにかく無駄にソロが長い。個人練習ではリズム・セクションがいないが、ジャムセッションはリズム・セクション入りで吹けるので、要するに練習をしているのだ。これはジャズ研のたまり場とか、ジャズ教室の教師とその生徒のジャムセッションでは頻繁に見られる光景だった。ぼくはバンドの練習ですら他人にアピールする演奏、パフォーマンスをしてきた。ステージの上でフレーズやスケールの練習を延々してどうしようというのだろう。演奏とは聴く人を楽しませ、自分も楽しむものではないのか-彼らにとっては、そんなことは二の次のようだった。

うちのバンドはジャズやりたいなあ、という人間が集まった自然発生的なグループだったから、部活やサークルのような既成団体に加入して、そこのルールに従う、なんていう考えは最初から持ちあわせていなかった。自分たちのやりたいことは、自分たちで決めてきた。ロックの世界では当たり前のことだし、ジャズをやりたいと思ったきっかけもいろんなジャズマンのアルバムを聴いてその自由さに憧れたからだった。
ところが、平均的なジャムセッションにはびこる呆れるほどの保守主義!これでは衰退したジャンル、過去の音楽と思われても仕方がない。つまらない演奏をしているという自覚もないだろう。