人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#15.『ウェル・ユー・ニードント』

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うちのバンドは四人全員がロック上がりだからか、好みのジャズも一致していたが、大御所に関していえば一致して当然ともいえる。モンク、マイルス、ロリンズ、コルトレーン。だが、好きなのと演るのとでは大違いで、たとえばミンガスなんかアレンジも含めてミンガスの曲なのでモノにならなかった。だがうちのバンドはドラムスがいいのと(守屋くん)耳がいいベースと(K)飛び道具的高速ギタリストと(花ちゃん)採譜ができて曲進行を仕切るサックス奏者(ぼくだ)で役割分担が明確だったので、初心者はなにから演るかなどまるで考えず合議制でレパートリーを決めていた。だからいきなり『ソー・ホワット』『エピストロフィー』など無謀な難曲をやり、それでもものになったのだ。熱意はテクニックを越えることもある。

「ジャズの主役はドラムスで、他の楽器はその伴奏」と山下洋輔も再三発言している。言葉を替えればドラムスさえ良ければ他はヘタレでもなんとかなるわけでうちのバンドは守屋くんとぼくで持っていた。ぼくはシンコペーションポリリズムを多用して基本的なテクニックの未熟さを補っていたからKや花ちゃんは戸惑ってしまうことがあったが、守屋くんはぴったり着けてきた。
「花ちゃんたちは聴きながら演るからずれちゃうんだよ」と守屋くん、「佐伯さんがガンガン吹いてるのに聴きながらじゃ追いつかないよ。予測しながら演るんだよ」
というわけで、守屋くんに引っ張ってもらって全員の腕前が向上した。もっともギター入りカルテットとしてはうちの演奏フォーマットは異色で、テーマ部ではアルトとギターがアンサンブルするがアルトのソロ、ギターソロではバックアップはベースとドラムスだけになる。ハード・ロック的にもなるわけだ。

ジャズクラブやライヴハウスジャムセッションに出るようになったのは守屋くんが最初で次にぼく、それから花ちゃん。Kは自分の楽器じゃないと嫌だからという理由で出なかった。
そしてジャムセッションでは気心知れた自分たちのバンドとは違って、楽しいこともあれば自分だけ浮いてしまったり、直接または間接的に嫌がらせを受けることもあった。救いはぼくを疎む連中はテクだけの凡庸なプレイヤーで、本当に音楽性の豊かなプロの人たちにはぼくの演奏は受け入れられたことだ。それは特にセロニアス・モンクの曲に顕著だった。