さっきコンビニでコピーを撮ってきて、帰宅してから余白を切ってCDケースに収め-ぼくは親しい人に贈るために新しい版を買ったのだが、イタリアのロックバンドなのに曲目に邦題もついていない不親切な仕様なので、ぼくの持っている旧版CDの解説・訳詞カードをコピーしてきたのだが、そのまま原稿を忘れてきてしまったことに気づいた。コンビニに電話したが出ないので、慌てて引き返した。コピー機のカヴァーを開けて、思わず、
「あたぁー!」
と声をあげてしまった。ぼくは振り向いた店員にしどろもどろで説明しようとしたが、向こうも両面コピー(そうしないとCDケースに収まらないからだ)に悪戦苦闘していたぼくを覚えていたので説明するまでもなかった。
ちなみにそのCDは(画像1)になる。名作です。
帰り道、「あたぁーっ!」というのは言葉を覚える前の長女の幼児期の口癖だたな、と思い出した。幼児の長女はこの一言ですべての感情表現を表徴していた。いわば言葉以前の言葉がそれだった。あの頃の長女は天使だった。
アベさんを叫ばせたチャーハンに続いて、今日の夕食は焼きギョーザになる。さすがにギョーザ作りは手間なので市販のものを買ったが、焼き加減はごま油で丁寧に仕上げた(画像2)。なんでわざわざこんなものを撮影しておくかというと、料理ができる(火を扱える)のがぼくのメンタル面の回復の指標になるからだ。
先一昨年暮れの緊急入院の時はガスレンジは空焚きして壊すわ、寝たばこで焼死寸前になるわで精神錯乱がひどかった。カルロ・エミリオ・ガッダの小説「悲しみの認識」を読んだがまったく理解できなかった。今はどれも二段組み500ページで二分冊の「重力の虹」「ダールグレン」「レターズ」(画像3)を平行して読んでいるくらいだ。
ぼくはつい春先までガスレンジを直して火を扱う自信がなかった。二年かかったことになる。
そこでようやく本題になる-ぼくを力づけてくれた人のうちの一人だ。
訪問看護のアベさんはわりとリアクションの大きい人で、内勤のデイケアでも外勤の訪問看護でも明快な感情表現をしないと伝わらない状況が多いのだろう。精神保健福祉士になる前にはスーパーマーケットの店長をしていたという人でもある。それはどう考えても対人態度があいまいでは勤まらない。アベさんは自然にそれができる人だから天職なのだろう。