地理的に近いこともあり、入院患者には横浜のドヤから来た人たちも多かった。ドヤというのは、ウィークリー・マンションみたいなものと言えば聞こえはいいが、お金もなければ身元保証人もいない人が日雇い・日払い仕事で宿泊する日払い~月払いのアパートで、ドヤとは「宿」の逆さ言葉だ。これが横浜の高級住宅街と向かい合わせに一区画に集中してドヤ街と呼ばれる地帯になっており、働いている人たちは湾岸労働者や工事人夫、建築作業員だが、生活保護受給者も多いので、横浜では市役所の福祉課以外にドヤ街に分署を設けているほどだ。
ドヤより普通のアパートの方が割安なのに、なぜドヤから出られないかというと酒や博打でお金がたまらないからだ。昼間から路上で酒瓶を片手に酔いつぶれている。ドヤ街に野宿して酒や博打にまわしている。生活保護で用途に問題がある人には現金ではなくパン劵(食費劵)や宿劵(宿泊劵)が支給されるが、これを買い取る闇業者もいるからきりがない。
もちろん真面目に働いてお金を貯めてドヤから出ていく人もいる。だがドヤ暮しをしていただけで偏見の目で見られるのは、そういうイメージがつきまとうからだ。
病棟ではアルコール依存症入院患者と一般の精神入院患者との間にも微妙な敵対心があったが、さらに生活保護受給者やドヤから来た人たちも(人によりけりだが)侮蔑の対象になっていた。井上光晴「地の群れ」63は広島を舞台に原爆被爆者と被差別部落民と朝鮮人グループの差別抗争を描いた小説だが、精神病院内でそれに近い構図があるなど洒落にもならない。