詩人石原吉郎(1915-1977)の俳句と短歌についての論考である藤井貞和「〈形〉について~日本的美意識の問題」は、主に石原の晩年一年間に詠まれた歌集「北鎌倉」について論じたものだが、短歌と詩の関連を、先行する散文詩に見る。
『藤1』
幽明のそのほとりを 装束となって花は降った もろすぎるものの苛酷な充実が 死へ向けて垂らすかにみえた そのひと房を。
おしなべて音響はひかりへ変貌し さらに重大なものが忘却をしいられるなかを すでにためらいを終え りょうらんと花はくだった
(詩集「北條」75より)
「静寂である。とくに『音響はひかりへ変貌し』というところに、死のイメージを放っている」と藤井は評し、同じ『藤』の短歌、
・今生の水面を垂りて相逢わず藤は他界を逆向きて立つ
と併置する。先に検討した俳句と詩の照応では、句と詩は同一のトーンに統一され、統率されていた。
「では、短歌もまた、静寂に、詩とおきかわりうるものとしてあるだろうか」
「どうもそうではないように想われる」と藤井は判断する。「短歌には、ふしぎなほど、あらがいの感情がこもる。なにかが立ちのぼり、まつわりついてくるように動く。これが『情緒の持続』と氏がのべたところのものであり、それの効果だ、ということになるのであろうか」
そして藤井は石原の本格的な歌作発表「病中詠」25首(『現代詩手帖』77年3月)を論じるが、先に藤井の選出した引用首を引こう。
・この掌はも検証受くる手にあらずと言ふよりはやく指はかぞへらる
・砂丘へとぬけぬく足の指ありてひとつ多きかひとつすくなきか
・火を呼ぶは火にはあらずと言へる夜にあらぬ方より呼びとめらるる
・石膏のごとくあらずばこの地上になんぢの位置はつひにあらざる
・死に代り死に代らずば銀杏のこれのみどりはなほ掌に在りや
・この夜よりひとつの村へ行き暮るる蹄のおとはつひにあらざる
・十一月なんぢあがなふいちにちはひとりの死者をつひにあがなはず
・血迷へる指すらありて血迷わぬ箸あることをなんぢ知れるや
・夕まぐれゆふまぐれして身じろがぬものの気配を背には持たぬや
・媒介とことしもなげに言ひはなつ間を奔る火のあるを知れ
・我が指はなほも生くると言い放つその指を垂る黒き火を見よ
藤井の解釈は次回で詳述する。