人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アンドレ・ジッド(11)『贋金つかい』『贋金つかいの日記』(続)

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1926年の『贋金つかい』と創作日記『贋金つかいの日記』は、アンドレ・ジッド(1869~1951)にとって創作の代表作であり、同時代の反響・影響ばかりか現代小説もジッドの提示した文学観の延長にあります。横光利一川端康成石川淳らは直接ジッド全盛期の影響下にありましたが、21世紀の現時点での日本文学の傑作と目される村上春樹海辺のカフカ』、町田康『告白』、阿部和重シンセミア』のいずれも『贋金つかい』の手法の応用例とも言えるのです。
プルーストジョイストーマス・マン、当時無名のカフカには、模倣を許さない不朽の革新性がありました。『ベルリン・アレクサンダー広場』のデーブリーン、『特性のない男』のムージルなどもそうです。イタリアのズヴェーヴォやポーランドゴンブロヴィッチ、ロシア=ソヴィエトのベールイ、オレーシャ等も国際的な文学の革新運動には位置づけられますが、相互の類似はない、真の創造性を持つ作家たちです。
ジッドが『贋金つかい』を一世一代の代表作とする作家ならば、河上徹太郎の指摘通り小説家としては二流となります。ジッドは真の創造性には欠けるのです。中原中也の指摘通りジッドは爛熟しきってネタ切れになった文化から文学を捏造せざるを得ない時代的・歴史的状況にあり、処女作すら作者の実際の日記を架空人物の名義で小説として出版したほどで、この趣向は出版界ではよくあるとはいえ後のリルケ『マルテの手記』やラルボー『A.O.バアナブース全集』のような虚構化による効果を生んでいない。その点では『アンドレ・ワルテルの手記』1891(22歳)と35年後の『贋金つかい』は同一の発想にあります。変ったのはこの35年の間に、ジッドよりやや遅い世代から斬新な文学革新運動が国際的に起り、その成果をジッドが大々的に摂取したのが失敗作『贋金つかい』でした。
当然これは一種の応用作ですからテーマはジッドならではのものでも、作品としては先に上げた革新的作家たちの亜流にならざるを得ない。創作日記を同時出版せねばならない弱みもそこにありました。亜流としては、後にサルトルが『自由への道』で同様の失敗をします。またトーマス・マンファウスト博士』1947も創作日記と同時出版でしたが、これは独立した価値があるものです。
ただし『贋金つかい』は面白さは格別です。それだけでも十分でしょう。