人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アル中病棟入院記その後(2)

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(人物名はすべて仮名です)躁鬱病相の悪化で隣町の総合病院の閉鎖病棟に緊急入院したのは2010年12月1日で、この病院へは2009年の5月~8月にも薬物性悪性症候群鬱病相による絶食から緊急入院しており、この時はクリニックを通した入院予定日の前日に自己判断で救急車を呼んだ。二週間は寝たきりで栄養点滴されて、自力では寝返りも打てないので床擦れができた。ようやく車椅子で食卓に着け、入院先の主治医の最初の問診では脱水症状で危篤寸前だったと言われた。入院直前の数日間は衰弱して蛇口をひねるどころかコップすら持てなかった。

2010年12月の入院はあらかじめクリニックによって計画され、いつもの受診のつもりで通院したら市の福祉課担当者氏が待合室で待機していて、クリニック主治医に簡単に説明を受けそのまま福祉課担当者氏の車で隣町の病院に連れて行かれた。その前のクリニック受診予約は激しい躁病相からすっぽかしており、電話で念をおされていた。その間に救急車を呼んで入院を懇願するが受け入れ先が見つからなかったり、幻覚や幻聴の悪化に耐えかねて深夜に警察署に泊めるか病院に入れてくれと押し掛けて追い返されたりした。

それまでの入院では振幅の激しい躁鬱混合状態から次第に絶食を伴う重鬱になって、衰弱した身体に薬物性悪性症候群(薬物中毒)がとどめを刺す、という具合で進行した。良好な健康状態なら薬物中毒も回避できたかもしれない。
躁鬱混合状態から爆発的な躁病相に進んで、幻覚や幻聴、関係妄想や誇大妄想に進んだのは日常生活という環境ではこれが初めてだった。獄中ではあまりに突然で過酷な監禁状態から幻覚や妄想を体験したが、条件が異なる。
関係再燃した滝口さんから会いたい、でも今はまだ会えない、だがどれほど彼女が心身ともに求めているかと秋の二か月間、毎日メール攻めにあううちに、精神的均衡を失ってしまったのだ。メールだけが再燃して会うことがならなければ、おかしくもなる。

クリニックと福祉課以外は誰も知らない入院だった。隔離室に21日間―起訴が決まらず留置場に80日間いた経験と較べればたかが隔離室だ―2011年1月6日に初外出し、3月9日に退院してきた。足掛け四か月の入院は最長の精神入院になった。そして退院後に関係が再燃するが、今度は終らせるためだった。