人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

病状の推移・前編(連作13)

(連作「ファミリー・アフェア」その13)

「申し訳ない。今まで見抜けなかったんだ」
と退院後の通院再開で主治医のK先生に詫びられ、
「こちらこそお手数とご迷惑おかけしました。せっかく入院まで取っていただいたのに、間に合いませんでした」
とあいさつを交した。
2か月半かかった。ぼくは重い躁病相のリバウンドかからひどい鬱病相に陥り、食欲不振と不眠からひと月かけて衰弱し、箸もコップも持てないので食事は買ってきたサンドイッチかおにぎり、やがてその程度の食事も食べられなくなり(封を切る力すらなかった)、一日にアイスクリームひとつ(水はストローで飲むのがやっとだった)、最後の数日は絶食状態でもはやストローで飲む力もなく、コップのふちから水を舐めていた。着替えや靴下、靴を履くことすらままならず、K先生とクリニック主任に手配していただいた入院日まで持ちこたえられなかった。全身が硬直し、仰向けに寝ると寝返りすら打てなかった。

ぼくは服薬は守っていたので却ってそれが悪性症候群(薬物による中毒症状)を引き起こし、脱水症状も起こしていた。最後に外出した時から脱げない靴を布団の外に出して倒れていた。翌朝にクリニック主任の付き添いでF市のF病院に入院予定だったが、持ちこたえられなかった。実家と新聞店に電話し、救急車を呼んで入院先はレスキュー隊員に任せた。いちばん近隣の病院に緊急入院した。
その数日前に救助を通報していたので(その時は「まず主治医の先生に相談してください」だったが)、話は早かった。刑事は2人ひと組だが、レスキュー隊は3人ひと組で来る。救急車も入院もこれが二度目になる。自分で呼んだのは初めてだった。
前回にもレスキュー隊の手順、患者を安定させて運ぶ腕前には感心した。救急車は患者の頭が車両中央にくるようになっていて、カーヴを曲がる度に外からの光が回転する。よくできているんだな、と、そのくらいの意識はあった。

ぼくはクリニックに通院してから1年半をストレス性障害、平たく言えば鬱病と診断されて治療を受けてきた。失業、離婚、入獄。これだけあれば鬱病の条件は揃う(ついでに酒飲みならアルコール依存症の条件も満たす)。
だがそうではなかったのだ。ぼくは双極性障害1型(躁鬱病)、しかも深刻なやつだった。それまで通院後に躁病相がなかっただけだった。