人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アンドレ・ジッド(18)その創作の特徴4

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作者自身が形式上の分類をしておきながら、アンドレ・ジッド(1869~1951)の創作は内容的に見ると形式的には異なりながら主題は共通しているものが多いのに気づきます。
処女作『アンドレ・ワルテルの手記・詩』1891~1892は詩的散文と分類されていますが内容はジッド自身の日記や詩のリライトで、自伝的作品どころではありません。主人公アンドレは従姉との結婚を臨終の母に拒絶され狂死に至りますが、ジッド自身が13歳の頃から将来ジッド夫人となる従姉を熱愛し、母の頑固な反対に苦しんでいました。

処女作発表後ジッドは足掛け三年に渡る長期の旅行に出ますが、その間の『ナルシス論』『ユリアンの旅』『愛の試み』1891~1893などの詩的散文の発表でジッドの文名は上がっており、また旅行からの帰国後間もなく母も逝去し、従姉は結婚を承諾します。この1893~1895年の旅行はジッドに『パリュウド』1895と『地の糧』1897の構想を与えました。また、南方の植民地で召使の少年を相手に男色行為の快楽を知り、性的には女性を求めなくなるようになりました。

ジッドより先に亡くなった夫人との関係は、ジッド最晩年に小部数限定出版され没後普及版が出た『秘められた日記』に詳しく、ジッド夫妻は一度も性的関係のない結婚生活を送り、夫人はその苦痛から長く別居婚を選択しました。自分には女性としての魅力がないのかと夫人は悩んだわけですが、ジッドは夫人の純潔さを至上のものと崇拝していたから愛情と尊敬はありました。しかし性的な対象とはまったく感じなかったのです。ですから別居婚を幸いに美青年の愛人と暮し、また50歳を過ぎると親友の令嬢を公けに愛人にして一女を設けました。正夫人の生前のうちにです。

そこで、『背徳者』1902や『狭き門』1909は理解しあえないカップルのうち女性が死ぬ話で、『イザベル』1911、『田園交響楽』1919ではやや問題は後退しますが、『女の学校』1929~36三部作では夫婦の断絶は決定的になります。『イザベル』『田園』では男女のすれ違いは恋愛をめぐるものではありませんが、『女の学校』三部作では正面からかなり通俗的ともいえる切り口で妻・夫・長女の視点から結婚の不毛を描いている。一方『背徳者』『狭き門』ではジッドの情熱はオフェリア・コンプレックスとすら言えるものでした。