人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

溝口健二『雪夫人絵図』(新東宝1950)

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 溝口健二(1898~1956)についてはどれでもいいから黙って10~20本は観て、それから話が始まる感じでしょう。20本というのはハードル高い本数ですが、溝口は24歳の初監督作品『愛に蘇へる日』から58歳の遺作『赤線地帯』まで88本の監督作品があります。第二次大戦中に小津安二郎は沈黙しましたが溝口は国策に妥協した作品を作り続けましたから、そのキャリアにはブランクがなく、小津や成瀬巳喜男、また溝口・小津をして天才と言わしめた清水、また黒澤明などは作風にムラがないから5~10本の代表作でも語れる。溝口の場合下手をすると10本観て10本ともハズレと言っては何ですが、最高の作品を観てからでないと並かそれ以下の作品からは面白さを読み取れない。20本観ればさすがに5本くらいは傑作が入っているでしょう。
 溝口は好調不調がはっきりした映画監督と言われます。周囲との衝突も辞さない完璧主義者であり、しかもほぼ年間に最低二作の過酷な制作をこなしました。スタッフやキャストには暴君でしたが、それでもみんながついてきたのは圧倒的な傑作を生み出すカリスマ性が溝口にはあったからです。
 小津、成瀬、清水らはスタッフやキャストとごく家族的で円満なムードを築くのがうまい監督でしたが、溝口はガミガミ親父で自分がテンパれば良い作品ができる、と思っていた、旧いタイプの最後の映画監督でもありました。しかし晩年五年間の驚くべき作品群が溝口を、世界的にトップクラスの監督として最初に認めさせることになります。やや遅れて黒澤、没後20年を経て小津、そして成瀬、清水が溝口に匹敵する名匠と海外での評価も追いつきますが、小津の再評価までは日本映画は黒澤もいいがやっぱり溝口だろう、と一人勝ち状態だったのです。
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 溝口健二監督作品『雪夫人絵図』1950は溝口77本目の作品で、1939年~1949年まで在籍した松竹から新興の新東宝に単発契約しています。翌1951年の『お遊さま』が大映、『武蔵野夫人』が東宝、さらに1952年の大傑作『西鶴一代女』が新東宝で、1953年の『雨月物語』が大映、この作品の成功から大映とは没年まで専属契約をむすびます。同年後半には早くも専属第一作『祇園囃子』を発表。1954年は『山椒大夫』『噂の女』『近松物語』、1955年はともにカラー作品で『楊貴妃』『新・平家物語』、1956年は3月封切りの『赤線地帯』の後、同年後半制作予定の次作『大阪物語』準備中の五月に白血病で倒れ、八月に逝去しました。『大阪物語』は吉村公三郎監督が引き継ぎました。
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 サイレント時代には映画は消耗品と見做されていたので、1935年までの溝口のサイレント作品57本のほとんどが現存しません。日本映画初の表現主義怪奇映画『血と霊』1923も、主題歌が大ヒットした『東京行進曲』1929と同年の『都会行進曲』もスチール写真か抜粋しか現存しないのです。一応はドラマとして短縮版になっていればまだ良い方なのです。
 一般に溝口の傑作はサイレント時代では入江たか子岡田時彦主演『瀧の白糸』1933とされますが、泉鏡花原作ものなら山田五十鈴主演『折鶴お千』1935が良い状態でほぼ完全なフィルムが残っており、同一カットの中でカメラがパンすると時間が遡行しているなど技巧も斬新で、ヒロインが無心に折り鶴を飛ばすラスト・シーンの情感などたまりません。
 溝口が巨匠になったのは1936年のキネマ旬報ベストテン2位・1位に並んだ『浪華悲歌』『祇園の姉妹』、翌年の『愛怨峡』でしょう。『浪華悲歌』の前作が夏目漱石原作『虞美人草』1935で、どちらもサイト上で観られますから比較鑑賞をお勧めします。『浪華悲歌』の斬新さは驚くべきものです。
 溝口はさらに松竹専属となり、「芸道三部作」とされる大作『残菊物語』1939、『浪花女』1940、『芸道一代男』1941もベストテン2位、6位、4位に輝やいています。戦時下になるべく国策色のない映画を作るのには、芸道ものとは苦肉の策でした。『元禄忠臣蔵』は前編が1941年、後編が1942年の封切りでこれも高評価のヒット作。しかし1944年の『宮本武蔵』はタイトルの次に「討ちして止まん」と筆書きの字幕から始まり、70分に満たないトホホ映画でした。ああ、作品を列挙しているだけで映画ばかり観て卒業できなかった大学時代を思い出すなあ。
 敗戦後は引き続き松竹で『女性の勝利』『歌麿をめぐる五人の女』『女優須磨子の恋』『夜の女たち』『わが恋は燃えぬ』を1946年~1949年に監督しますが、テーマにメッセージ性が強い作品ばかりの中、敗戦後の悲惨な現実を描いた『夜の女たち』だけが唯一ベストテン3位の好評でした。
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 敗戦後から溝口のスランプは明らかでしたが、映画制作の環境は悪く、さらに溝口には不向きな企画を戦後民主主義の高揚のためあてがわれたのは仕方なく、松竹時代は大会社の手前もありあえて不問に帰するところがありました。しかし敗戦から五年も経ち、フリーランスとなると映画ジャーナリストたちも一気に遠慮がなくなった。そこで『雪夫人絵図』『お遊さま』『武蔵野夫人』がスランプ三部作と見做されるのです。次の『西鶴一代女』が大傑作で、『雨月物語』『祇園囃子』『山椒大夫』『近松物語』と続くだけに溝口作品の専属スタッフたちにも上記三作はスランプ期とされ、『浪華悲歌』~『新・平家物語』までほとんどの溝口作品のシナリオを手がけた依田義賢氏も回想記『溝口健二の人と芸術』1970で『雪夫人~』『お遊さま』『武蔵野~』を失敗作として制作プロセスの誤算を反省しています。
 しかし、依田氏は謙虚すぎるのではないか、並の監督がこれだけの作品をものしたら生涯の傑作とされるのではないか。『雪夫人絵図』のヒロインの煩悶は必ずしもこの作品の中心的テーマではなく、『西鶴一代女』で決定的な中心テーマになるが、『雪夫人』のヒロインの煩悶が消極的なのに較べ『一代女』では煩悶に生命を燃焼しきっている違いがあり、『一代女』に比較してしまうから『雪夫人』ではテーマの分裂と性格造形の弱さが目につくだけではないか。
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 この作品の原作は雑誌『小説新潮』に連載された舟橋聖一の小説『雪夫人絵図』で、 旧華族信濃家のひとり娘・雪(小暮実千代)は、愛人を囲って財産を食いつぶす養子の夫(柳永二郎)に悩まされていた。そんな中、父が死に、財政的行き詰まりから雪は密かに慕いあっている幼なじみの菊中方哉(上原謙)の助言で別荘をホテルにするが、夫はその経営を愛人に任せると言い出す。そして妊娠の判明した雪は……。
-と、お話としては菊池寛真珠夫人』、横光利一『寝園』などに連なるブルジョワ家庭のよろめきドラマなのですが、これはヴィジュアル的に西欧人に受けるのも納得。映像に欧米映画にはないはかなさがあるのです。また、溝口映画は長い長い移動撮影で知られますが、そこから細かい分割カットにはない窃視症的緊張が生まれてくる。ジャン=リュック・ゴダールがこの作品を「残酷な美しさがある」と評したそうですが、このヒロインの煮え切らなさが登場人物全員を振り回して迷惑を振りまいていることを見抜いていて、ちゃっかり自分だけは取り分を巻き上げる人物もいますから甘いだけのメロドラマではないのです。信濃の元旗本家のお嬢さま育ちと婿養子を京都出身の詐欺師が騙す、というのも良くできています。
 また、この映画は冒頭と結末を若い女中・浜子(久我美子)の視点から描いていますが、全編では視点の統一がないのも失敗作のいわれになっています。ですが最後にヒロインがすべての事態を収拾する屈辱的な選択を実行した後、浜子の「お姫(ひい)様のいくじなし!」という痛烈な罵倒で幕を下ろすのはイプセン劇のような激情感があります。
 だからテーマを統一できなかった分強烈な衝迫力には欠けますが、どの登場人物の立場からも公平な描かれ方をされているのがなおさらヒロインを突き放している印象に結びつくのです。しかもリアリズムによって統一されてもいない。エリック・ロメールヴィム・ヴェンダースをアントニオーニの系譜にある実存主義映画として批判していましたが、おそらく吉田喜重作品を観てもそう批判したでしょうし、『ママと娼婦』のジャン・ユスターシュもそうなるでしょう。『雪夫人絵図』を観ると、もうすでにアントニオーニ~吉田喜重(吉田氏の出自は小津安二郎の助監督ですが)を先取りしているような不安定さ、不安定だからこその新しさがあります。スランプ三部作と晩年の名作群をそうした視点で観直すと発見があるかもしれません。
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 サイト上に溝口作品は多数アップされていますが『雪夫人絵図』はないので、参考までに昨年刊行された『溝口健二著作集』の動画広告をご紹介します。溝口映画の名場面のコラージュ集として楽しめます。
キネマ旬報社溝口健二著作集』
https://www.youtube.com/watch?v=gefhBoF_EZw&feature=youtube_gdata_player