今回は戦後の溝口映画最大の問題作『山椒大夫』から『噂の女』『近松物語』までの3作の回になりました。この3作は日本再軍備の年昭和29年の3月、6月、11月に公開され、この年のキネマ旬報ベストテンは第1位が『二十四の瞳』木下恵介、第2位も木下の『女の園』、第3位『七人の侍』黒澤明、第4位『黒い潮』山村聡、第5位が『近松物語』で第6位が『山の音』成瀬巳喜男、第7位も成瀬の『晩菊』、第8位『勲章』渋谷実、第9位が『山椒大夫』で第10位『大阪の宿』五所平之助となり、『噂の女』は第16位でしたが、20位以内ランク外11月公開の本田猪一郎『ゴジラ』も落とせません。東宝が『山の音』『晩菊』を作りながら再軍備翼賛映画『七人の侍』と原水爆開発実験批判に空襲の恐怖の記憶を重ねた反米怪獣映画『ゴジラ』を作り、松竹の木下も一筋縄ではいかない『二十四の瞳』『女の園』を1位・2位に送りこんだこのものすごい'54年の映画状況で、戦後の日本社会への溝口の怒りは家族解体の悲劇と奴隷解放の革命アナーキズム映画『山椒大夫』でピークに達しました。この作品は重厚な歴史悲劇としては評価されつつも政治思想は支離滅裂と批判を浴び、『噂の女』は遊廓経営者の立場にある母娘ヒロインを描いて『祇園囃子』とは異なる狙いから戦後の遊廓の変質と依然とした固陋な因習を浮かびあがらせようとしましたが、同作が溝口作品最後の出演になる田中絹代への配慮もあってかテーマの追求の弱い作品になります。実際は西鶴と近松の同じ事件をモデルにした作品を合わせて原作にした『近松物語』は大映側の意向で大スターの長谷川一夫の主演が条件でしたが『山椒大夫』の準ヒロインで好演を見せた香川京子をヒロインに起用し、封建制度下で反逆を貫く恋人たちをめぐる歴史社会劇として『山椒大夫』ほど規模を広げずテーマを絞った戦略的後退によって高い完成度と共感しやすい明快さで成功作となり、『西鶴一代女』からの逆境下の歴史劇は同作で一応の結論を見せます。ベストテンで『噂の女』がベストテン圏外16位はまだ健闘を見せたとしても『山椒大夫』9位、『近松物語』5位というのは時代がどのように溝口作品を受け入れたかを示しており、これについても感想文の中で触れていきたいと思います。専属脚本家の依田義賢氏の回想録『溝口健二の人と芸術』ですら『雨月物語』には7章を割きながら、『山椒大夫』と『噂の女』は合わせて1章、『近松物語』も1章で、そのどちらも『雨月物語』に関する1章よりも短いのです。それは思いのほか作品への反響がおもわしくなく、創作意欲を低下させるようなものだった事情によるとも考えられるのです。
●3月8日(木)
『山椒大夫』(大映京都撮影所/大映'54)*118min(オリジナル124分), B/W; 昭和29年3月31日公開 : https://youtu.be/zatYe_fHq5g
○製作・永田雅一、原作・森鴎外、脚本・八尋不二/依田義賢、撮影・宮川一夫、音楽・早坂文雄、美術・伊藤喜朔、助監督・田中徳三
○あらすじ 平安末期、七年前左遷された平正氏の家族玉木(田中絹代)とその子厨子王(花柳喜章)と安寿(香川京子)、女中の姥竹の四人は越後の浜辺で人買いにだまされ、母玉木は佐渡へ売られ、姥竹は自殺し、厨子王と安寿の兄妹は丹後の大尽山椒大夫(進藤英太郎)に売られる。激しい労働と残酷な仕打ちの中で出家した大夫の息子太郎(河野秋武)に励まされながら十年が流れた。佐渡から売られてきた小萩(小園蓉子)の口から兄妹は母の消息をきき、安寿は厨子王に逃亡をすすめ、自分は追手をはばんだのち投身自殺をとげた。都へ出た厨子王は後に平正道として丹後の国守に任じられ、さっそく人買いや奴隷を禁じ佐渡の母と対面するのであった。キネマ旬報ベストテン第キネマ旬報第9位。ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作である。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
監督第83作。『祇園囃子』は『雨月物語』完成直後から撮影・完成してヴェネツィア国際映画祭への『雨月物語』出品に依田氏・田中絹代を連れて向かったため、依田氏の著書ではスルーされているのは前回触れた通りです。『山椒大夫』はイタリアからの帰国後すぐ着手するため八尋不二氏に第1稿を依頼してありました。依田氏は会心作にはたっぷり回想録の紙幅を割きますが、本作については安寿(香川京子)と厨子王(花柳喜章)のキャスティングが決まっていたため年齢に合わせて安寿を妹、厨子王を兄に改変したこと、民間伝承の仏教説話を森鴎外が短編小説にまとめた際に改変された箇所、また元々の伝承仏教説話からいかに改変したかに触れている程度で、依田氏は本作には溝口の悩みが反映していると言い「澱の沈んだような、暗い作品になりました」と暗に否定的な感想を洩らしています。原作では厨子王が結末でようやく再会を果たすと盲目となっていた老母の額に父の形見の観音像を当てる、すると老母の眼が開くのですが、溝口はそれでは首肯せず「納得できるように書けるならいいですよ」としか言わない。かつてヘンリー・キングの『聖処女』'43(日本公開'49年、アカデミー賞主演女優賞受賞作)ではルルドの泉の奇跡が描かれ、ドライヤーの『奇跡』'55(日本公開'79年、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作)は敬虔な旧家の希望だった嫁娘を失い喪に服していると、知的障害者で精神障害者でもある義兄の預言と祈りが弟の嫁を復活させるのを本物の奇跡として堂々と描いており、キングは1885年生まれ、ドライヤーは1889年生まれで溝口より先輩の上に'60年代まで現役だった大物監督です。溝口はリアリズム尊重の立場からキングやドライヤーほど大胆になれず田中絹代を失明させたままにしてしまいましたが、溝口も依田氏も自信を持てなかったらしいこの結末は盲目ゆえに厨子王の顔を撫で回し観音像に触れてようやく厨子王本人と信じ、厨子王が来たなら安寿はと懸命に呼びかけながら宙をまさぐる身も心も敗残の老婆になりきった田中絹代の迫真の演技、抱き合う母子から浜辺にパンして彼方の水平線を映すラストカットでこれしかないほどの決まり方になっており、もし老残の母の眼が開いていたらゴダールが『気狂いピエロ』'65のラストカットにそのまま引用したこの水平線へのパンは、はこれほど痛切な悲しみに溢れたものにはならなかったでしょう。本作は『西鶴一代女』『雨月物語』『近松物語』と合わせた古典文学ものの4大傑作中、厚みはたっぷりありますが登場人物の性格の一貫性、行動の説得力には強引な作為性が目立ち、俳優の演技の質もまちまちで、完成度を問題にするなら破綻の多い作品です。田中絹代の母は『西鶴一代女』『雨月物語』をもしのぐのではないかと思うような壮絶な名演ですが生き別れになった中盤ではまったく出番がないのも、かえって貴婦人から遊女崩れの老残の半狂人の乞食老婆への一直線の転落を印象づけて効いていますし、香川京子の可憐な安寿役も素晴らしく、ラストシーンに次いで安寿の静かな入水自殺シーンを本作最高の場面に上げる人も多いでしょう。ヒロインの入水自殺シーンではブレッソンの『少女ムシェット』'68と並ぶもので、ヒロインが沈んだままの川面を長く映すためにフィルムの逆回転を使ってしまいせっかくの名シーンに瑕瑾を残してしまった『少女ムシェット』より本作の方が見事です。また日本映画を代表する嫌な親父役俳優・進藤英太郎の堂々たる権力者山椒大夫はタイトル・ロールにふさわしいもので、伝承説話では鋸挽きの刑に処せられたのを鴎外が追放に改変したのは創作余話「歴史其儘と歴史離れ」にある通りですが、説話通りの鋸挽きを期待した観客も多かったのではないでしょうか。しかしそれでは厨子王の復讐心が残虐になりすぎてしまうので、裸一貫にして領地追放にとどめて十分だった妥当性があります。問題は厨子王役の花柳喜章で、子供時代を演じる加藤雅彦、後の津川雅彦で丸根賛太郎の佳作『狐の呉れた赤ん坊』'45の時の芸名は沢村マサヒコでしたが、子役時代の津川雅彦はいいのですが花柳喜章がまずい。所作はばたばたしているし台詞はいつも絶叫調で、この青年役者は『残菊物語』『名刀美女丸』の千両役者、花柳章太郎の子息なのだそうですが、章太郎氏の面子を立てて我慢したとしか思えません。都へ出て素性が認められ、丹後の国守になってからは何とか見られる演技になりますが、名家出身なので偉い人の役はできても悲惨な運命に突き落とされた役を高貴な生まれ育ちを漂わせながら必死で抵抗する微妙なニュアンスは無理だったようです。というか、そこまで表現するには実年齢がまだ若年の俳優では無理で、20代前半を演じられる30代後半のベテラン役者、つまり『残菊物語』の時の花柳章太郎くらいの力量のある役者でなければ勤まらなかったでしょう。
それでも順撮りの幸徳か、芝居相手まで輝かせてしまう田中絹代の威光か、ラストシーンの母子再会では花柳喜章の頼りなさが生きていて、実はさめざめと泣いてしまえる溝口映画はこの感想文の筆者の場合『折鶴お千』と本作2作きりなのですが、初公開当時から現在まで本作の評価が国内では安定しないのは貴種の生まれが証明されて丹後の国守、平正道になってからの主人公の行動です。周囲の忠告を押し切って人身売買禁止令を発布し、山椒大夫を領地追放にして解放奴隷たちに自由を告げてかつて山椒大夫の命令で額に焼印を押した奴隷に陳謝し、妹安寿の死を知って嗚咽をこらえ、旧山椒大夫邸を職場として働くもよし移るもよしと告げてから高台の御所に戻り、母の行方を捜すために国守を辞職する。退職願いを書いて立ち上がると山椒大夫邸炎上の報を受け、廊下に出るとはるか麓の山林の中で遠く、山椒大夫邸が煙を上げている。次のシーンでは早くも母の売られて行った佐渡での母捜しになるのですが、本作を『ベン・ハー』や『スパルタカス』と並ぶ奴隷解放革命映画として見ても貴種生まれの特権を利用した権力の行使でしかないところに真の革命とは言えない古い発想の残滓があり(つまり水戸黄門と同じレベルです)、解放奴隷の生計を保障する発想もないから鋸挽きの刑の代わりに山椒大夫邸を炎上させたが結局暴徒化した解放奴隷たちが分け合い営む本拠すら無に帰してしまったことへの責任すら取らないで辞職してしまう。当然後任の国守は奴隷制の確約に荘園中を回るだろうし、溝口は奴隷解放革命が当時にあっては私有財産制の強制廃止に等しい無政府主義だったのを気づかないのか。厨子王=平正道は一時的な無政府主義を施行しただけで何の継続的改革も行わず佐渡へ行ってしまったが、為政者としての父の戒めの遂行を結局放棄してしまったも同然ではないか。おそらく依田氏が本作について抱いた澱み、暗さというのはそうした批判をすべて予期していたからで、政治映画として見れば『元禄忠臣蔵』より思想的一貫性もない、この主人公の選択は破滅への志向として何も残さない(『元禄忠臣蔵』の赤穂浪士たちの反逆も赤穂藩民たちの願いをかなえ、赤穂藩民のコミュニティー意識を継続させるための犠牲的行為でした)、思想として突き当たりを感じさせるものになってしまったのではないか。しかしこれは日本人が自国の映画として観るからであって、案外欧米、特にヨーロッパ諸国ではさほど違和感なく受け入れられたようです。歴史の浅い新興国で未開地開拓国のアメリカはともかく、近~現代の革命は場当たり的に前の為政者を倒した為政者が正反対の政策を打ち出し、失策すればすぐ次の為政者に倒されるのくり返しで、恒久的な理想的改革理念などないことを自国、また周辺隣国のさまざまな歴史的悲惨から知り抜いている。ひょっとしたら周りの国守との戦争になるか、身内から暗殺される前に山椒大夫にだけ的を絞って目的遂行したらさっさと要職から逃げ出しおおせた主人公を策士としては優秀で的確な決断力がある、という見方もできるのです。しでかしたことが大それていすぎたために国守としての継続的改革など望みようがなかった、と考えれば生きて母との再会を果たした方が確実で、主人公としては母と抱き合った浜辺でそのまま息絶えてもいいほどの思いでしょうからゴダールがラストカットに死と永遠の究極のイメージを見たのは早とちりではなくて、誰もが厨子王と母玉木のその後などまったく想像できないはずです。そこから逆算すれば、本作の政治的歴史観の錯誤などどれほどの問題になるでしょうか。
●3月9日(金)
『噂の女』(大映京都撮影所/大映'54)*84min, B/W; 昭和29年6月10日公開 : https://youtu.be/0E24iCquQsw (trailer)
○製作・辻久一、脚本・成田昌茂/依田義賢、撮影・宮川一夫、音楽・黛敏郎、美術・水谷浩
○あらすじ 京都島原。夫なきあと女手一つで遊女や仲居、女中達をきり回す井筒屋女将の初子(田中絹代)は東京で音楽を学ぶ一人娘雪子(久我美子)の自殺未遂事件にあう。雪子は家に戻され、初子の年下の恋人の医師的場(大谷友右衛門)の診察を受ける。雪子は家業が廓であることと恋人との不仲を悲観した末の自殺未遂であった。雪子が次第に的場に好意を感じていくのを知り、初子は身を引こうとする。しかし的場の雪子に対する愛が打算以外の何ものでもないことを知った雪子は的場と別れ、失恋と疲労に倒れた初子を看病しながら家業を継ぐ決意を固めるのであった。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
監督第84作。本作では廓ものとはいえ打って変わって戦後の青年世代の女子大生の久我美子のヒロインと、その母親役の廓の女将の田中絹代のWヒロインによる世代間の対立をテーマにしています。言ってみれば小津安二郎や成瀬巳喜男に近いテーマに取り組んだ作品で、廓はあくまでも背景にすぎないことで現代ものでも廓の女たちの変質と廓自体の変わらない性質の相克を描いた『祇園囃子』とは異なり、本作の場合特に廓でなくても、旧態依然とした水商売なら何でもいいのが設定の必然として稀薄な弱点があります。'70年代~'80年代にかけての世界的再評価で小津安二郎の評価がカール・Th・ドライヤー、ロベール・ブレッソンに匹敵する徹底したスタイルを打ち立てた大監督と定まり、欧米諸国での世界映画史ベストテンでも小津の『東京物語』'53が定番でベストテン上位、しばしば3位以内で世界映画史上ベスト1作品とまで声価が高まる以前は、溝口の『雨月物語』や『山椒大夫』が日本映画を代表する世界映画史上のベストテン作品とされていました。小津作品の落ち着いて客観的かつ悠然としたテンポの話法、極端に形式主義的な映像が映画的ミニマリズムの先駆的達成として現代映画の潮流を予告していたものと見直され、また小津作品の中心的テーマとも言える家督権の分割化による戦後日本の家族解体の過程の観察が、資本主義制度下の市民映画の普遍的テーマとして世界的に発生した問題を射抜いていたと解釈されるようになったのです。要するに高度資本主義社会の形態を取った文化圏全体では市民階級の総中産階級化が進み、旧来の大家族中心の家庭概念が崩壊して総核家族化が起きた結果、家庭は子供のいない若夫婦家庭か子離れした老夫婦家庭か、子供のいる若夫婦~中年夫婦家庭か、またはパートナーを持つ独身者かそれすらない独身者という非常に単位の小さなものになり、家庭の形成が次の世代では孤独化する運命を避けられなくなった。公的には生涯独身者で母親と暮らしていた(小津は次男で兄弟中唯一結婚せず、母親の逝去の翌年に小津も亡くなった)小津が家庭解体劇を一貫したテーマにしていたかは謎めいていますが、溝口も溝口より5歳年少の小津も日本的な映画監督とされながら作風やテーマはほとんど共通点がなく、溝口のような日本映画や小津のような日本映画が日本映画の主流だったことはないのも面白いことですが、国際的にも国内的にも評価の逆転が起こった結果、相対的に溝口の評価は'60年代~'70年代までより下がってしまったのも事実です。また『雨月物語』や『山椒大夫』が欧米諸国では溝口映画を代表する最高傑作とされていたのもオカルト映画のブームがありもした'70年代までは有利でしたが、戦時景気で金に目のくらんだ主人公が都で怨霊に取り憑かれて死に目に遭って田舎のわが家に帰ってきてみれば妻子が迎えてくれたが、一夜明ければ妻も戦乱の中で野武士崩れの夜盗に殺害された幽霊だった、という怪異譚の『雨月物語』や人身売買時代の荘園制の王朝時代の悲劇を描いた(アメリカ映画の史劇映画の古典『山椒大夫』が、万事文化がビジネス的に推移した'80年代~'90年代のバブル景気とその破綻の風潮の中では急速に古色蒼然としてしまったのもやむを得ず、元々サイレント時代からの監督でも2歳年長の衣笠貞之助、島津保次郎、同年生まれの内田吐夢、伊藤大輔らに較べても溝口はモダンな感性には欠けていたというか、ロマン主義に憧憬する自然主義映画監督の体質が抜きがたかった観がありますしそれが強みでもありました。
溝口の入院が'56年5月、逝去が8月ですから企画は溝口の死より先だったと思いますが、本作への小津の回答が'57年4月公開の『東京暮色』だったのではないかと思うくらい『東京暮色』は小津映画でも溝口の諸作の暗さに近づいた作品でした。小津の場合父子の関係を描いた映画では息子、娘ともテーマにし、母子では息子との関係をあつかった作品はありましたが、母娘に焦点を当てたのは『東京暮色』と『秋日和』'60の2作になり、肉親間の人間関係の洞察では小津の領域は溝口よりはるかに広いのですが、肉親の女同士の愛憎関係、特に母娘は意識的に避けていて、戦後の小津作品は名作佳作揃いですが姉妹を描いた佳作『宗方姉妹』'50はあっても母娘(山田五十鈴と有馬稲子)を突き放して描こうとした『東京暮色』は戦後唯一の失敗作と目されるほど不評だったもので、『秋日和』の明るい母娘(原節子と司葉子)で挽回を図ったもののやはり小津は女性に焦点を合わせると優しい描き方こそ本領を発揮した人だと思わせられます。溝口の本作は当時キャッチコピーで「笑いと涙」と謳われた通りにふすま越しの1フレームで母(田中絹代)が娘(久我美子)に関係を隠している愛人の医師といちゃついている様子をうかがっている場面などコメディ演出を意識した箇所(田中絹代のパトロン役の進藤英太郎も『山椒大夫』とは別人のように本作では気のいい助平親父です)もあちこちにあるのですが、溝口は小津とは逆でコメディ調に和ませようとしてもまったく向かないのです。田中絹代と久我美子は実年齢通り容貌も演技も十分母娘の世代的な隔たりを感じさせるのですが、一人の男を巡る関係に説得力がなく、姉妹の確執のように見えてくるのが母娘という設定を裏切っています。田中絹代の母はしっかり者すぎて、医院の開業で世間に顔向けしたいと動機が語られてもこの若い愛人の医師のような男に惚れているとは見えないのが致命的で、一人の男を挟むとしたら田中絹代の年齢に近い食えない中年の色男を配した方が良かったでしょう。『雪夫人絵図』で聡明可憐な女中役だった久我美子も失恋の痛手につけこまれたとしてもやはり本作の青年医師のような男に惚れるとは思えないのが二重に説得力を欠き、結局母娘ともこの男に愛想をつかすのが大して面白くもなくなっている。本作の映画オリジナル・シナリオは難航したそうで最初は川口松太郎が原案を書く予定でしたが何を提案しても溝口が不満で「こんなことで日本映画界はどうなるんでしょうね」「おれだって懸命に書いてるんだよ」「しかしあんたは世界的文豪ではないでしょう」「そりゃおれは世界的文豪じゃないさ」「それがわかればいいんです」と悶着したせいで川口が原案から降りたらしく、また一時は求婚する意思があった田中絹代が溝口映画最後の出演作になったのは、だいたい娘役から起用していたヒロインを母親役に使ってしまうともうそれからは主演女優には使わない監督が多いのですが、本作の前年に田中絹代の監督デビューの企画があり(新東宝『恋文』'53、以降'62年までに全6作)、その際方々からコメントを求められるたび「田中の頭で監督ができますか」と一笑に伏していたのが不和のきっかけになったというのが定説です。つくづくひと言多い人ですが、依田氏が母娘の決別で終わらせるプランを断固として娘からの和解に固執したのは溝口自身だったそうで、依田氏が回想録でも決別の方が良かったと書いているように理解の上の決別という結末に向かって収斂していくシナリオでしたら、いつもの溝口節と言われるような作品になったとしても演出の調子ももっと集中したものになったと思われる弱みがあります。しかし『雪夫人絵図』から連続7作の力作、溝口にしてみれば戦後13作目で『雪夫人絵図』以前もおろそかな仕事はなかったのですから、田中絹代へのきつい演出も今回は緩めて軽く仕上げたかったのでしょう。舞妓の姉が病死し何度も舞妓にしてくれと訪ねて来るたび帰していた妹の少女を客間に待たせて、すっかり代理女将が板についた久我美子が呼び出しに出て店の舞妓を送り出す店前の路地の奥行きのある構図で映画は終わります。こうした所はやっぱり抜群にうまいなあ、と感じいるだけの作品ではあるのです。
●3月10日(土)
『近松物語』(大映京都撮影所/大映'54)*97min(オリジナル102分), B/W; 昭和29年11月23日公開 : https://youtu.be/qomQiXaBtA0 (trailer)
○製作・永田雅一、原作・近松門左衛門、脚本・川口松太郎/依田義賢、撮影・宮川一夫、音楽・早坂文雄、美術・水谷浩、助監督・田中徳三
○あらすじ 京の大経師の若妻おさん(香川京子)は兄の無心から、金の工面を手代の茂兵衛(長谷川一夫)に相談した。茂兵衛は店の金を一時用立てたが、主人の以春(進藤英太郎)から疑われる身となる。おさんは茂兵衛を思慕する女中お玉(南田洋子)の寝所へ以春がのりこむところをいさめようとして待受けるが、かえって逆に以春に茂兵衛との仲を疑われる。ついに茂兵衛とおさんは駆落ちした。その途中で茂兵衛はおさんへの強い慕情を打明けるのであった。大経師の家は不義者を出したかどでとりつぶされることになり、当時の刑法でおさんと茂兵衛も追手に捕われた。刑場にひかれていく二人の顔は真の愛情を貫いた思いで幸せにみちているのであった。近松門左衛門の浄瑠璃劇「大経師昔暦」の映画化。キネマ旬報ベストテン第5位。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)
監督第85作。戦後溝口映画がようやく後世に伝わる大監督の風格をそなえた『雪夫人絵図』'50からはご覧の方も多いと思うので3作ごとに感想文をまとめてきましたが、2作ごとから3作ごとにしてあっさり済ませるつもりが作品ごとの感想はまるで短くならないので参りました。本作は『山椒大夫』『噂の女』と同じ'54年度作品で、当時国内ではキネマ旬報の順位のように『山椒大夫』より評価が高かった名作です。『山椒大夫』はヴェネツィア国際映画祭で前年の『雨月物語』に続く銀獅子賞を受賞し、その前年の『西鶴一代女』の監督賞に続く3年連続受賞を成し遂げましたが、『近松物語』は永田雅一が前年の『地獄門』'53(衣笠貞之助)のグランプリ再びとカンヌ国際映画祭に出品されたものの永田の今年もグランプリだという放言が伝わって反感を招いたのが無冠に終わった原因ではないか、と依田氏は回想録に記しています(同年のグランプリはデルバート・マンの『マーティー』でした)。企画段階から本作は長谷川一夫主演が売りの映画と決まっており、溝口のキャスティングの権限はヒロインにしか与えられなかったので溝口は『山椒大夫』で可憐な安寿姫を演じた香川京子を指名し、香川は親族がマネージメントをしていて純情可憐な娘役で売っており、本作のような激しい不倫時代劇を受けてくれるかスタッフ一堂ひやひやしたそうですが、溝口の作品ならと快諾してくれたどころか全力を尽くしたいと意欲的で、スタッフを感激させたそうです。本作の香川京子の輝かしさは前後作の溝口映画のヒロイン、田中絹代や木暮実千代、京マチ子には置き換えがきかない儚く張り詰めた美しさに満ちていて、香川京子というと真っ先に『近松物語』が浮かんでくる人も多いのではないでしょうか。長谷川一夫主演のメロドラマ時代劇という以外は溝口に原作選択の権限が与えられていて、溝口は近松の『大経師昔暦』だと切り出しましたが依田氏はすぐに思い出せず、西鶴の『好色五人女』のおさん茂兵衛と同じだと言われてやっと分かった。しかし近松の作品は女中お玉と手代の茂兵衛の恋が中心になっていて、それにちょっかいをかけるうちにおさんと茂兵衛の恋になっていく過程では西鶴の方が説得力がある。川口松太郎が『噂の女』の時の悶着を水に流して原案協力してくれたが、どうしてもお玉の方が共感を呼ぶヒロインになってしまうのを西鶴の方からおさんが恋に落ちる過程を借りて力づくで作り上げたシナリオ作業だったと依田氏は回想しています。『女優須磨子の恋』のような例外はありましたが『雪夫人絵図』から『西鶴一代女』まで溝口映画の恋はけっして実らない話ばかりだったので、本作は心中ものではありませんがもろとも処刑されてもいい覚悟で道行きにいたります。正確にはおさんと茂兵衛が駆け落ちせざるを得なくなり、家の取り潰しを避けるため夫の大経師家では駆け落ちはひた隠しし、茂兵衛ひとりを逃走人として引っ立ておさんは関係なかったことにして事態を治めようとしているのが道行き中に判明する。そこで本作の小舟の上で茂兵衛がおさんへの思慕を告白し、自分は自首するから奥さまはお戻りください、と懇願する場面になります。二人が本当に駆け落ちするのはそれからで、おさんは茂兵衛といるからこそ幸福と決して別れるつもりはないのを訴える。揺れる小舟の上で二人は抱き合い、茂兵衛もおさんから離れないと誓います。映画冒頭で二人は、つまり観客も、処刑されて市中引き回しにされている不義密通の罪人の恋人たちの死体を見ています。おさんと茂兵衛の愛の確認はすでに処刑死への覚悟なので、溝口はようやく『元禄忠臣蔵』の隠しテーマだった、幕府への謀叛は赤穂民への忠義という大石内蔵助と赤穂浪士の信念を明かせたのです。
本作は封建社会の建て前と本音にも目配りは利いており、おさんの夫が必死になるのも若妻への心配や嫉妬などではなくただただ大店の大経師家が不義密通者を出したとあっては直ちにお家取り潰しになるからですし、茂兵衛おさんを捕まえてもおさんは幽閉、茂兵衛はどさくさ紛れに別の罪状をつけて丸く治めるつもりなのですが、もうおさんと茂兵衛は本気で駆け落ちしているので最後は全員破滅するしかない。小舟の抱擁の後はその推移を追っていくだけとも言えるので映画はほぼ前半2/3で尽きていますが、そこから先はおさんと茂兵衛の覚悟は揺るぎないので大経師家と道中の二人のカットバックで見せていく。『西鶴一代女』のように男から男へ、つかの間の幸せからまた暗転へ境遇を転がり続けていくのでもなければ『雨月物語』のようにサブ・プロットに工夫のある展開でもなく、『山椒大夫』のように大規模な歴史劇でもありませんから、本作は不義の恋人たちに的を絞った分小舟のクライマックスからはやや冗長にも感じ、観終えて尺数を見ると2時間たっぷりあったような気がしてきて、溝口得意の作中時間経過の錯覚をあえて採用しています。長谷川一夫も演じていて順撮りにもかかわらずシーンのつながりがわからず、「こんな馬鹿な本はあるかい」と文句を言うことたびたびだったそうですが、舞台映画ともにベテラン千両役者の長谷川でもカットを割らない溝口の長回しはこのまま使うのか別のカットと組み合わせるのか戸惑っていたのでしょう。『残菊物語』は花柳章太郎と話し合いの上で長回ししていたし、香川京子は『山椒大夫』の出演でワンシーン・ワンカットの入水自殺まで演じていましたからずっとロングで長回しの演技を要求されるのに慣れていたでしょうが、『山椒大夫』の花柳喜章とまではいかなくても長谷川の演技にやや慌ただしさを感じます。芸能人が拍手する時にわざとらしいくらい両手を胸元まで持ち上げるようにアップ、ミディアム、ロング、切り返しといったカメラ・ポジションを意識してしまうのか、そうしないと気が入らないのか、溝口のようにロングで長回しのショットで追うと長谷川一夫のあちこちが動きすぎているように見えるのです。花柳章太郎の千両役者ぶりは小さな所作で全身の演技を見せる伝統的で様式的なものでしたが、長谷川の千両役者ぶりは悠然と構えた香川京子と組み合わせるて達者に演じすぎているように見える場面がままあり、溝口は役者が音を上げるほど何度もリハーサルをくり返して駄目出しして撮りたいイメージに近づける演出法が習慣だったといいますが、本作の長谷川一夫にはフリッツ・ラング式に足元の線に沿って歩いて止まったら顔を上げて腕を引いて、と人形演技を要求した方が早かったのではないか。かなり無駄な動きをそぎ落としてもここまでだったと思われ、スターの華はさすがの存在感があるだけにミスキャストとは言えないので微妙なところです。映画冒頭しばらくは風邪で寝こんだ役になっているのも、作劇上の工夫なのは依田氏がシナリオ作業裏話で解説しているのもあるでしょうが、最初から溌剌とした色男ぶりを見せられては長谷川ばかりが悪目立ちしてしっとりとした香川京子のおさんを立てた運びにならない、という計算もあったのではないでしょうか。また本作は見事な名作ですが、『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』と続いてきた古典歴史劇ものとしてはテーマが純一な分本作ではやれることを行き着いてしまった観があり、ここから同系統の発展は二番煎じにしかならないが再びそれまでの作品の混沌には戻れないとも思わせるもので、ではどうなったかというのが次回の'55年の2作、そして'56年の遺作で、溝口の作品はあと3作きりなのです。