人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

五つの赤い風船1969-1971

 五つの赤い風船は西岡たかし(1944年、大阪生れ)をリーダーに1967年に結成され、1969年にレコード・デビューし、1972年の解散まで絶大な人気を博したグループ。当時は西岡たかしが多作するオリジナル曲の親しみやすさで人気を集めたが、現在では日本のアシッド(サイケデリック)・フォーク・ロックの視点から幻覚的なサウンドとダウナーなムードを再評価されている。アルバムは1969年から1971まで〈第一集〉から〈第五集〉が出された後、72年に代表曲をアメリカ録音で再演した二枚組アルバム『僕は広野に一人いる』、同年7月と8月に行われたゲスト多数を含む解散コンサートのライヴ盤『ゲームは終わり・解散記念実況盤』を発売して解散した。グループ活動中には西岡たかしが元ジャックスの木田高介、新人の斎藤哲夫と組んだ『溶け出したガラス箱』が70年11月、紅一点の藤原秀子がソロ・アルバム『私のブルース』を70年12月に発表している。
 1995年に刊行され、その充実した内容で話題になったなぎら健壱の名著『日本フォーク私的大全』でも、取り上げられた16組のアーティスト中、五つの赤い風船高石ともや岡林信康に続いて三番目に回顧されている。フォーク運動の渦中にいたなぎら氏にとっても五つの赤い風船は大きな先達で、同時代の人気の高さがそれを裏付けているのだが、解散後には五つの赤い風船は急速に過去のグループと見なされた。あまりに活動中の時代の要求に応えた音楽をやっていたとされた。学校教科書にも採用された代表曲でデビュー・ヒット『遠い世界に』などはその典型だろう。この曲は、今でも西岡たかしのリードによる観客合唱曲として演奏される。そうしたセンス、『僕たち若者』という言葉を歌詞に使う軽薄さはデビュー時に早くもジャックスの早川義夫から批判されていた。ジャックスはあくまでパーソナルな自意識しか歌わないロック・バンドだった。

イメージ 1


〈アルバム第四集〉『五つの赤い風船・イン・コンサート』70年8月発売
『遠い世界に』ライヴ、1969年3月26日収録
https://www.youtube.com/watch?v=xlQxSBS-qaM&feature=youtube_gdata_player
*
 ジャックスがヴェルヴェット・アンダーグラウンドなら、五つの赤い風船はそのライヴァルだったパールズ・ビフォー・スワェインだったかもしれない。『遠い世界に』もスタジオ録音のオリジナルはオートハープを伴奏に使った、幻想的なアレンジの曲だった。
Pearls Before Swine-"Another Time" 1967
https://www.youtube.com/watch?v=eqLa42texfI&feature=youtube_gdata_player
*
 五つの赤い風船は、日本初の組織的インディーズ・レーベルとも言えるURC(Underground Record Club)の第一回発売として、A面に高田渡、B面が五つの赤い風船でアルバム・デビューする。加藤和彦をディレクター(プロデューサー)に迎えたこのスプリット・アルバムは、LP片面30分39秒だけながら全曲が代表曲と言ってよい鮮烈なデビュー作だった。リコーダーの響きが印象的なアシッド・フォーク曲『血まみれの鳩』はケネディ暗殺のニュースが流れた晩に作詞作曲されたという。

イメージ 2


イメージ 3


〈アルバム第一集〉『高田渡五つの赤い風船』69年8月発売
『血まみれの鳩』
https://www.youtube.com/watch?v=HlU2sGC6lmM&feature=youtube_gdata_player
『恋は風に乗って』
https://www.youtube.com/watch?v=nxXf3xtDguk&feature=youtube_gdata_player
『遠い空の彼方に』
https://www.youtube.com/watch?v=8sEg87UBp6w&feature=youtube_gdata_player
*
 アルバム第二集は初のフルアルバムになったが、発売自体は第一集と同じ69年8月になっている。これは、インディーズであるURCが第一集は通信販売限定から始めたため、通販予約の反響の大きさに一般発売のフルアルバムに制作方針を切り替えたからだった。
 このアルバムも楽曲が粒よりで、第一集と並ぶ充実した作品になった。五つの赤い風船は女性歌手の藤原秀子の作曲力も含めて全員がマルチ・プレイヤーであり、ギターやベースなどの専任楽器は優れていたが、持ち替えでヴィブラフォンスティールパンオートハープ、リコーダー、ピアノ、オルガンなどを積極的に使い、演奏力は専門的とは言えないが良い意味のアマチュア精神で面白い楽器アンサンブルを試している。ご紹介する曲は第二集収録曲だが、* の二曲はサイト上にオリジナル・ヴァージョンがないので後年の再録ヴァージョンになる。アレンジや歌唱はオリジナルに忠実なので了とされたい。

イメージ 4


アルバム『おとぎばなし』69年8月発売
まぼろしのつばさと共に』
https://www.youtube.com/watch?v=Sdlb0tNLDH4&feature=youtube_gdata_player
*『母の生まれた街』
https://www.youtube.com/watch?v=wJWrdhOJZY8&feature=youtube_gdata_player
*『おとぎばなしを聞きたいの』
https://www.youtube.com/watch?v=Sdlb0tNLDH4&feature=youtube_gdata_player
*
 第三集はアルバム・デビューから半年でフォーク界のカリスマ・グループと目され、西岡たかし自身が脱カリスマ宣言をしたアルバム。ご紹介する曲は代表曲となったが、楽曲面では第一集・第二集からはかなり落ちる。その分、第二集で開花した変則編成のアンサンブルが楽曲の弱さを補っているが、最初からアレンジに頼った曲づくりがされているように感じられないでもない。アシッド・フォーク・ロック色はさらに強まっているので、あえてサウンド面の楽しみに向かったアルバムかもしれない。
アルバム・タイトルは『フォーク脱出計画』と読む。

イメージ 5


〈アルバム第三集〉『巫OLK脱出計画』70年3月発売
『これがボクらの道なのか』
https://www.youtube.com/watch?v=nQ-H-0hrUtY&feature=youtube_gdata_player
*
 70年8月には同年3月31日・4月1日のコンサートからのライヴ盤『イン・コンサート』を発表。純粋な演奏部分は良いが、曲に乗せたしゃべりの多さ・長さや観客合唱は繰り返し聴くに耐えない。幸いA面後半の藤原秀子ヴォーカル曲からは演奏の密度が高くなり、B面では早川義夫木田高介がゲストに登場して木田のフルートと早川のヴォーカル入りの『からっぽの世界』が聴ける。このジャックスの代表曲はフォーク・クルセダーズもライヴ・レパートリーにしたが、木田のフルートと早川のヴォーカルあってこその曲で、この五つの赤い風船ヴァージョンも木田と早川の参加によってジャックスのヴァージョンに匹敵するものになった。マルチ・プレイヤーの木田は続く『母の生まれた街』でドラマティックなドラムスも聴かせる。
 その木田と、URCからの新人・斎藤哲夫の三人で西岡がリーダーになり一作限りのユニットとして制作したのが、それまでの五つの赤い風船のどのアルバムよりもアシッド・ロック色の強い『溶け出したガラス箱』のアルバムだった。このアルバムからの曲は欧米で編集されるアシッド・ロックのコンピレーションCDでも日本代表になっている。

イメージ 6


『溶け出したガラス箱』70年11月発売
『あんまり深すぎて』
https://www.youtube.com/watch?v=zGyfh5_6Zjg&feature=youtube_gdata_player
『何がなんだかわからない時』
https://www.youtube.com/watch?v=Ch0FctsWlOk&feature=youtube_gdata_player
*
 藤原秀子も二曲を除き自作曲で堅めたソロ・アルバム『私のブルース』を70年12月に発表、五つの赤い風船のスタジオ録音アルバムとしてはほぼ一年半ぶりのアルバム第五集は、パート1とパート2の二枚が同時発売された。西岡たかしとしては、元々二枚組として発売を希望していたという。再発LPでは二枚組になり、CDでも何度かバラで再発売されていたが、先10月末の再発売でようやく二枚組CDになった。
 パート2の『フライト』は従来の風船らしいポップな小曲、パート1の『ニュー・スカイ』は西岡たかしの個人的で実験的な曲、という区別がされているから、二枚別々というのも、二枚組もどちらも根拠はある。
 だが出来ばえは、『フライト』はこの一枚だけでは物足りない作品になった。当時の後輩フォーク勢の吉田拓郎泉谷しげるでも歌うような、親しみやすいというより俗っぽい作風になっているのだ。初期の鋭さや理想主義もなくなっていて、『フライト』は『ニュー・スカイ』と一対でなければ『巫OLK脱出計画』からサウンド面の実験性まで後退させた作品に見える。

イメージ 7


〈アルバム第五集part 2〉『Flight』71年7月発売
『ボクは風』
https://www.youtube.com/watch?v=6MhmwOAEayA&feature=youtube_gdata_player
*
 五つの赤い風船の、真のアルバム第五集と言えるのは『ニュー・スカイ』の方だろう。A面1曲B面4曲というのは、アルバム第一集で片面に9曲を収録していたグループからの大きな変貌を聴く前から予期させるが、A面すべてを使った23分の大作(サイト上の動画では15分の短縮版だが)『時々それは』は三途の川の水音、棺に打たれる釘音に重なり、黄泉の国を漂うような単調な循環コードに乗って歌われる死後の情景で、ピンク・フロイドの『おせっかい』B面23分半の大作『エコーズ』を連想させる。『おせっかい』は71年11月の発売だから『エコーズ』からの影響関係はない(『おせっかい』以前のピンク・フロイドが参考になっている可能性はある)。ジャックスの『からっぽの世界』からの影響は大きいだろう、というか、ジャックス的な方向に向かう内的衝迫があったのだ。
 確かにここまで来たら、五つの赤い風船というグループ・コンセプトは先がないだろう。次作はアメリカ録音によるベスト選曲の再演アルバム、それから解散記念コンサートまでこの後一年の活動で五つの赤い風船は解散する。その後、西岡たかしはソロと五つの赤い風船再結成を繰り返すばかりになってしまって、クリエイティヴィティはソロ・アルバム『満員の木』73、『哀しい歌』75あたりまでで尽きたアーティストと見られている。若い世代にアピールする力はもうないのだろうかと、NHK-BS定番のフォーク番組で初老の観客を合唱させてばかりいる姿を観るたびに思う。

イメージ 8


〈アルバム第五集part 1〉『New Sky』71年7月発売
『時々それは』
https://www.youtube.com/watch?v=xZ45x-I0FIQ&feature=youtube_gdata_player