人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小津安二郎『淑女と髯』(松竹1931)

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『淑女と髯』(全)
(Part 1)
https://www.youtube.com/watch?v=qVqf8eURWik&feature=youtube_gdata_player
(Part 2)
https://www.youtube.com/watch?v=ZDyy0h6oXio&feature=youtube_gdata_player
(Part 3)
https://www.youtube.com/watch?v=Ol9df6HwDFU&feature=youtube_gdata_player
(Part 4)
https://www.youtube.com/watch?v=bePWMDkHY7s&feature=youtube_gdata_player
(Part 5)
https://www.youtube.com/watch?v=S_jzSkiqlyE&feature=youtube_gdata_player
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 1931年(昭和6年)の小津には三本の作品があります。前年の七本、前々年の六本からは一気に半減しましたが、『大学は出たけれど』『落第はしたけれど』で描いた不景気が映画の制作本数にも現れてきたのです。
 この年の小津作品は、『淑女と髯』(2月7日公開・75分)、『美人哀愁』(5月29日公開・158分)。『東京の合唱(コーラス)』(8月15日公開・90分)ですが、大作の『美人哀愁』のプリントは現存しません。『淑女と髯』の前作は『お嬢さん』(1930年12月12日公開・135分)ですがこれも散佚作品で、『お嬢さん』は女性記者もののコメディ大作、『美人哀愁』はフランス小説を翻案した三角関係の恋愛悲劇の大作でどちらもそこそこに評判は良かったものの、大作二作の合間に8日間で撮影した軽いコメディ小品『淑女と髯』の方が観客にも批評家にも好評だったので小津は悩んだ。そして『東京の合唱』は定評が出来つつあった小市民映画に戻り、小津作品では初のキネマ旬報ベストテン3位の高い評価を得ます。
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『淑女と髯』は小津の第20作ですが、他愛ないといえば第8作『若き日』に負けず劣らず他愛ない恋愛コメディです。映画冒頭は大学の剣道部の対抗戦で、主人公のバンカラ学生・岡嶋(岡田時彦)と敵の大将(斎藤達雄)の勝負をほぼ無字幕で、コミカルなパントマイム演出だけで面白おかしく描きます。優勝した岡嶋は親友の行本男爵に妹・幾子(飯塚敏子)の誕生パーティに誘われますが、幾子には露骨に嫌われ、幾子の友人の上流階級のお嬢さんたちには愚弄され、ダンスを請われて行本家の家老(坂本武)と剣の舞を踊り、お嬢さんたちは逃げ出す、幾子は泣き出すという始末。
 このパーティの前に、パーティに向かう途中で不良少女(伊達里子)に絡まれている若い女性を助ける一幕がありますが、彼女は岡嶋が就職面接に出向いた会社のタイピスト広子(川崎弘子)でした。この面接では面接官の社長が岡嶋と同じヒゲ(ただし白髪)を生やしている、という細かいギャグがあります。
 その後また先の不良少女との出会いと、彼女が仲間入りしているグループの不良青年たちをとっちめたり、行本男爵に就職口が決まらないのを嘆く一幕や、行本男爵が母や妹に髯こそ日本男子の証(ただし本人は生やしていない)と岡嶋の髯を擁護する場面がテンポよく進み、帰宅した岡嶋の下宿に広子が訪ねてきます。広子の用件は先日のお礼と、不採用の理由が髯だったという打ち明け話で、広子の勧めに従って岡嶋は髯を落とします。
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 髯を剃って見違えるような美青年になった岡嶋はすぐに就職が決まり、報告に行った行本家では男爵には嘆かれるが幾子には手のひらを返して惚れられ、幾子は貴族同士のお見合いを断ってしまいます。広子も母からの縁談を断り、広子の母も先方もその気なら、と岡嶋の勤め先のホテルを訪ねます。岡嶋は喜んで結婚を承諾します。
 そこへ不良少女が現れ、岡嶋にブローチを包んだ付け文をします。不良少女が去ると、ロビーでぶらぶらしていた男がブローチをしげしげ見て「良く出来た偽物だね」。すると、ホテルのマネージャーがギャングの一団とロビーに現れ、食事中にブローチを盗まれたとギャングの情婦。「あれはわしがシカゴで大枚叩いたものだ」とアメリカ人ギャングの親分。ロビーの男は岡嶋からブローチを預かると日本人情婦の背中ごしに親分にブローチを渡し、親分は男に礼金を渡して目配せしあい、「ブローチがあったぞ」。ロビーの男はニヤニヤしながら去っていきます。
 付け文の通り7時に不良少女はタクシーに乗って待っていましたが、現れたのは元の髯を生やした岡嶋でした。警察に突き出すのか、と問う不良少女に、岡嶋は家族はいないのか、更正する気はないかと諭します。「あたい、前科者なんだ」と嘆く彼女を岡嶋は慰め、つけ髯を取ると連れ帰り、今晩だけはと宿を貸してやることにします。
 そこに行本がせがまれて母と幾子を連れてやってきます。幾子は憤慨して去り、行本はすまんな、と一礼して立ち去ります。
 翌朝、広子が訪ねてくるとまだ岡嶋は寝ており不良少女が応対しますが、どういう関係さ、と問う不良少女に広子は毅然として「私は岡嶋さんの恋人です」と答えます。起きた岡嶋は自分を疑わなかった広子を賞賛し、不良少女も広子のように自信を持って生きると誓います。
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『若き日』と大差ないほど他愛ない恋愛コメディ、基本アイディアはヒゲを剃ったら途端にモテモテになる男というだけの映画ですが、主演の岡田時彦の端正な容貌とスマートな演技で陳腐さを感じさせません。また、主人公が思いを寄せられる相手が男爵家令嬢、真面目な職業婦人(OL)、不良少女と階級化されているのもコメディならではで、『坊ちゃん』を思わせる岡嶋とタイピスト弘子の清潔な恋愛も気持良く、『若き日』ではアメリカの恋愛コメディの消化の達者さに感心するにとどまったとしても、『淑女と髯』では日本の世相風俗や日本的人情が恋愛コメディの中によく生かされています。散佚作品はスキップしてたどらざるを得ませんが、1929年の『若き日』『大学は出たけれど』、1930年の『落第はしたけれど』『その夜の妻』、そして『淑女と髯』と観てくると、年度ごとに確かな前進があるのを感じずにはいられません。次作『美人哀愁』は残念ながら散佚作品ですが、『東京の合唱』ではさらに長足の進歩があるのです。