人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

雪が降る街を

イメージ 1

 2月30日午前10時半頃、神奈川県中部地方の天候の様子です。それは時計台を見ればわかるか。さぞ降るかと思いきや、夕方にはぬるい雨がほとんど雪を溶かしていた。この地方では今年は初めての雪だが、全宇宙から見ればたかが一小惑星のほんの一部の気象状況。雪が降れば次の号は雪ばかり、台風があれば台風ばかりというのが短歌や俳句の雑誌らしいし、現代俳句では作句でも作句時以外の季を詠むことを空想句として禁じる流派がある。それは何でも行き過ぎで、厳密な国文学者からも、たとえば芭蕉や一茶の句文集の成立を根拠に、現代俳句にある空想句の忌避を俳句概念の歪曲と批判されている。『野ざらし紀行』『奥のほそ道』や『おらが春』『父の終焉日記』は日本文学の大傑作だが刊行も可能なようにでもあり、また表現の効果からも大きく虚構を含んでいる。
 だか今日は雪が降れば雪、というのもたまにはやってみたくなり、すぐ駅前まで、買い物がてら行ってみて写真も撮ってきたが、傘をさして手袋を外して撮影したため不安定になり、屋外では明るくてモニターが見えず上がりが確かめられないため、一番ましな一枚までも指が入ってしまっていた。
 内政や外交、経済政策など政治について、また人種問題や宗教団体について書くよりは、それはよほど見識のある人がやればいいことで、料理や天候について書くだけのほうが清々しいにはちがいない。見識を自負するような人は、たとえば雪の日に春の句を書いたり、表現上の効果から季語を別の季語に移すのを空想句とするような、何というか現実と「真実性」を見分ける人間の想像力については無頓着な人だろう。この冬も、あと一、二回は降雪について書く機会がありそうだな、と思う。