フランス文学者の桑原武夫(1904-1988)が戦後間もないうちに発表した現代俳句批判『第二芸術』(岩波書店「世界」昭和21年11月)は当時爆発的な反響を引き起こし、俳句の世界にとどまらず短歌・現代詩にまで影響を及ぼした。これは日本の詩の保守性とマナリズムを批判したものと拡大解釈されたからだった。
賛否両論の中で、当然「俳句がわからない批評家」という反論もあったので、桑原はわざわざ芭蕉を賞賛する著作まで現したほどだった。だが『第二芸術』では俳句定型の限界自体が攻撃されているのは明らかだろう。
このエッセイが挑発的なのは、冒頭に俳句を15句並べて、専門俳句作家が10句と素人の新聞投稿句が5句混ぜてあるが、まるで見分けも優劣もつかないではないか、というクイズ形式だったからだ。初めからネタバレの形で引用しよう。専門作者の句は○、素人投稿句は●をつけておく。
○芽ぐむかと大きな幹を撫でながら(阿波野青畝)
●初蝶の吾を廻りていづこにか
○咳くヒポクリットベートーヴェンひびく朝(中村草田男)
○粥腹のおぼつかなしや花の山(日野草城)
○夕浪の刻みそめたる夕涼し(富安風生)
●鯛敷やうねりの上の淡路島
○爰(ココ)に寝ていましたという山吹生けてあるに泊り(荻原井泉水)
●麦踏むやつめたき風の日のつづく
○終戦の夜のあけしらむ天の川(飯田蛇笏)
○椅子に在り冬日は燃えて近づき来(松本たかし)
○腰立てし焦土の麦に南風(ハエ)荒き(臼田亜浪)
●囀(サエズリ)や風少しある峠道
○防風のここ迄砂に埋もれしと(高浜虚子)
●大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
○柿干して今日の独り居雲もなし(水原秋桜子)
桑原は作者名を伏せて知人の文学関係者数人に閲読してもらったが誰もプロと素人の区別がつかなかった、自分が読んでも意味不明の句がいくつもあり、プロ作者の作品と素人作品の優劣があるとは思えない。こんなものが文学芸術といえるだろうか。日本の文化水準の向上を阻害させないためにも、国語教育の場から俳句を排除すべきではないか―とものすごい結論にたどり着いている。敗戦後の風潮に桑原のエッセイは見事に迎合した。
だが現代ではこの論は今や一顧だにされない。玄人と素人の差が一目瞭然だからだ。それは作品形成意識の次元の差に他ならない。
(続く)