カルメン・マキ&OZ - 1977/07/24 Miya-jima island
カルメン・マキ&OZ 1977/07/24 Ganne Moon Beach, Miya-jima , Hiroshima, Japan : http://youtu.be/ihYRk9R17js
1.閉ざされた町
2.空へ
3.26の時
4.Carmen Typhoon (Instulmental)
5.私は風
6.とりあえずロックンロール
[Personnel]
カルメン・マキ(b.1951) - ヴォーカル
春日博文(b.1954) - ギター
川崎雅文(b.1954) - キーボード
川上茂幸(b.1952) - ベース
武田治(b.1954) - ドラムス
この録音は画像掲載の2枚組ライヴ・アルバム『ライヴ』(78年8月発売)とは同時期だが別のものになる。公式盤『ライヴ』は77年6月と、解散公演になる77年10月の収録だから、これはその間に行われたコンサートからになる。音源は出所不明だが鮮明なライン録音によるもので、ラジオ放送音源かもしれない。充実した演奏のステージで、こういうものがあるのなら活動当時ポジションが近かった四人囃子のように、マキ&OZの未発表ライヴ・アンソロジー(ボックス)でも出してほしいものだ。1ステージの完全収録かはわからないが、曲目は『ライヴ』のディスク2と同じ流にアンコールで6.を持ってきたもので、コンサートのオープニングがヘヴィ・プログレの『閉ざされた町』はないだろう。コンサート前半は名曲揃いのファースト・アルバム『カルメン・マキ&OZ』(75年1月発売)から披露するか、やはり名曲満載のセカンド・アルバム『閉ざされた町』(76年7月発売)からアルバム通りに『オープニング~崩壊の前日』といくか、実際『ライヴ』では『オープニング~崩壊の前日』からファースト・アルバム収録曲という流れになっている。
それにしても70年代末にはヴェテラン・ロッカーの風格があったマキ&OZが、今あらためてメンバーの生年を見ると解散時ですら平均年齢25歳にもならないのに驚く。マキさんが26歳、ベースのシゲさんが25歳、リーダーの春日さん、セカンド・アルバムから加入した川崎さん、サード・アルバムでスタジオ盤では最後の『III』(77年12月発売)で加入した武田さんの3人はまだ23歳だったのだ。
マキ&OZのメンバー・チェンジは多く、マキさんと春日さん以外は全パートで移動があった。ファースト・アルバムではキーボードに石川清澄さん、ベースに千代谷晃さん、ドラムスに古田宣司さんが正式メンバーだが、深町純さんがキーボード、安田裕美さんがセカンド・ギタリスト、ベースに成瀬ヒロさん、ドラムスに西哲さんとヴェテランの手を借りて完成させている。セカンド・アルバムでキーボードが川崎さん、ベースが川上さんに交代し、ドラムスの久藤賀一さんはツイン・バスドラムスで、このラインナップがマキ&OZ史上最高というオン・タイムのファンも多い。そしてサード・アルバムの制作と平行してバンドは解散までのスケジュールをこなしていく。
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日米混血のMaki Annette Lovelaceことマキさんは18歳で寺山修司に見出され、シングル『時には母のない子のように』でデビュー、オリコン・チャート2位の大ヒットとなり紅白歌合戦にも出演する。ソロ歌手としてのマキさんには『真夜中詩集~ろうそくの消えるまで』(69年8月発売)、『アダムとイヴ』(69年11月発売)、『想い出にサヨナラ~カルメン・マキ'70』(70年7月発売)があり、マキさん本人の希望からハードロック・ヴォーカリストへの転身を図り、自分のバンド活動(タイムマシーン名義、近田春夫在籍。レコーディングなし)を経て当時のトップ・ハードロック・バンドにヴォーカリストとして参加した『カルメン・マキ&ブルース・クリエイション』(71年7月発売)を残し、72年に当時18歳のギタリスト春日博文とOZを結成。音楽的リーダーでもある春日さんも若いがマキさんもまだ21歳だった。
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マキ&OZのレパートリーはほぼ全曲春日さん作・編曲で、バンドのブレインにロック・ジャーナリストの加治木剛さん(のちにダディ竹千代)をコンセプトと専属作詞家に迎えて、3年間の準備期間を費やして75年1月にデビュー・アルバム発表にこぎつける。全6曲という大作で、作詞は4曲加治木さん、2曲マキさん。作曲は5曲が春日さん、1曲が加治木さん作詞作曲になっている。3年かけただけの素晴らしい楽曲が揃っており、加治木さんのプログレッシヴ・ロック志向と春日さんのハードロック志向が見事に調和しており、マキ&OZというとこのファーストが第一に上がってくる。具体的にはユーライア・ヒープを連想させるサウンドで、英米のハードロックでは72年頃までのサウンドだからやや遅いのだが、逆にアメリカのプログレ・ハード系バンドと並べれば同時代現象とも言え、また現代に至るまでの、日本ならではの女性ロック・ヴォーカルとハードロック志向のスタイルはすべてマキ&OZのファーストが原型になっているとも言える。実際このデビュー作は日本のロックでは前例のない10万枚以上のセールスを記録した。アルバムのクライマックスは日本の女性ロック・ヴォーカルのスタンダード、寺田恵子も中森明菜もカヴァーしたこの曲で、作詞はマキさん自身による。貴重なライヴ映像があるが、この時はキーボード不在だったようで、イントロでオルガンが渦巻き、バラード・パートはピアノ伴奏でないとどうも感じが出ない。それは77年のライヴで聴いていただきたい。
カルメン・マキ&OZ 私は風 (TV-On Air Live '76) : http://youtu.be/HLEQCKVfy44
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セカンド・アルバムでは脅威的にヘヴィなベースでアンサンブルをリードする川上さん、重厚なキーボードで濃厚なサウンド・カラーを支える川崎さん、さらに滅多にいないツーバスの名手の久藤さんの加入で、デビュー作をよりヘヴィなプログレッシヴ・ロックに押し進めたような作風になった。今回は全曲が加治木・春日コンビの作詞作曲で(作詞で1曲、作曲で1曲共作がある)、アルバム・タイトル曲に集約されるテーマに沿ったコンセプト・アルバムといえる。その点では前作以上に成功しており、最強のメンバーが揃った傑作なのだが、デビュー作の良い意味の風通しのよさがここではひたすらヘヴィになっていて、完成度と引き換えに音楽を重苦しくしている感がなきにしもあらず、ではある。代表曲はやはりアルバム・タイトル曲だが、『オープニング~崩壊の前日』くらいの疾走感の方が好ましいと思う人も多いだろう。
カルメン・マキ&OZ 閉ざされた街 (TV-Studio Live '76) : http://youtu.be/UVz0bsPOFQc
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サード・アルバム制作中にはもうマキ&OZの解散は決まっていた。アルバム・ジャケットも解散を意識した正装のバンド・ポートレイトになっている。デビュー作で10万枚以上の売り上げを達成しても、収支決算ではバンドの状態は常に赤字だったようだ。日本で純粋なロック・バンドが十分に収益を上げて継続的な活動を維持するには、まだ環境が整っていなかったということでもある。アルバムの発表は解散コンサートの2か月後になった。意欲的なプログレッシヴ・ハードロックだった前2作と較べ、楽曲の質の高さは保っているが、デビュー・アルバムのA面の延長上に叙情的なハードロック、ややプログレッシヴ・ロック風味でコンパクトな曲が並んでいる。最高の名曲は『空へ』だろう。加治木・春日コンビの作詞作曲だが、『私は風』への加治木さんからマキさんへのアンサー・ソングというべき素晴らしい歌詞が、春日さん最高のリード・ギターのイントロと共に、マキ&OZ最後のアルバムを飾るにふさわしい曲に仕上げている。この曲の当時のライヴ映像は残念ながら音声が貧弱だが貴重なので掲載したい。また、この曲のライヴ映像には97年の一度限りの再結成の時のものがあり、OZの演奏もマキさんの歌唱も衰えどころか全盛期を凌いでいる。共にご覧ください。
カルメン・マキ&OZ 空へ (TV-Studio Live '77) : http://youtu.be/zbjNV5MhI_Q
カルメンマキ&OZ 空へ (Reunion Live,29 December '97.) : http://youtu.be/iWZ8gHdXhPA