人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Love - Four Sail (Elektra, 1969)

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Love - Four Sail (Elektra, 1969) Full Album : https://youtu.be/NjAnHt0IAMc
Recorded A makeshift studio in a rented warehouse, and at Sunset Sound Recorders, Hollywood, California, September 1968 - 1969
Released August 1969, Elektra EKS 74049(Stereo)
All songs written and composed by Arthur Lee, except where noted.
(Side A)
1. August - 0:00
2. Your Friend And Mine - Neil's Song 5:06
3. I'm With You - 8:54
4. Good Times - 11:39
5. Singing Cowboy (Lee, Jay Donnellan) - 15:12
(Side B)
1. Dream - 20:00
2. Robert Montgomery - 22:55
3. Nothing - 26:33
4. Talking In My Sleep - 31:23
5. Always See Your Face - 34:12
(Bonus Tracks)
1. Robert Montgomery (Alternate Vocal) 37:39
2. Talking In My Sleep (Alternate Mix) 41:17
3. Singing Cowboy (Unedited Version) 44:13
[Personnel]
Arthur Lee - rhythm guitar, piano, conga, harmonica, vocal
Jay Donnellan - lead guitar
Frank Fayad - bass, backing vocal
George Suranovich - drums, backing vocal (tracks 1, 5-10)
Drachen Theaker - drums (tracks 2-4)

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 (Original Elektra "Four Sail" LP Liner Cover)
 前作『フォーエヴァー・チェンジズ』は念願のビルボード広告まで出たがチャート154位と低迷、リーダーのアーサー・リー以外の全員メンバー・チェンジした第4作『フォー・セイル』はリーがラヴ以前に組んでいたメンバーを呼び戻し、途中ドラマーのみメンバー・チェンジを挟んで1年半あまりに渡るセッションから選曲された。エレクトラ・レーベルとの契約はこれが最後と決まっており、8月にこのアルバムが発売されるとリーはレコーディング・セッションを10月まで続行しながらMCA傘下のブルー・サム・レーベルに移籍し、『フォー・セイル』セッションからの残り曲と合わせて初の2枚組アルバム『アウト・ヒア』を12月にリリースする。ヴォリュームでは計3枚となり、1968年にアルバム・リリースがなかったのを埋め合わせてあまりあるが、『フォー・セイル』(チャートでは102位と名盤『フォーエヴァー・チェンジズ』をしのいだ)と2枚組アルバム『アウト・ヒア』を合わせても68年8月発売の、オリジナル・コンセプト(ブライアン・マクリーンが準リーダーだった)のラヴのラスト・シングル『ユア・マインド・アンド・ウィ・ビロング・トゥゲザー』1曲にかなわない、と言わざるをえないのがつらい。
 必ずしも『フォー・セイル』や『アウト・ヒア』、ブルー・サムから同メンバーでもう1枚出た『ファルス・スタート』のハード・ロック路線のラヴが悪いのではなく、初期アメリカン・ハード・ロックとしては曲想も多彩でオリジナリティがあり、優秀なバンドと言っていいくらいだ。『ファルス・スタート』では旧友ジミ・ヘンドリックスが1曲参加して、一発でジミとわかるギターを弾いている。旧ラヴのフォーク・ロック・テイストをハード・ロックブレンドさせた部分もあれば、ジミのバンド・オブ・ジプシーズと似た志向性を持ったファンク・ロック・テイストもある。

 だが再編ラヴがなかなか優秀なハード・ロック・バンドでも、デビュー作、『ダ・カーポ』『フォーエヴァー・チェンジズ』と『ユア・マインド・アンド・ウィ・ビロング・トゥゲザー』のラヴはとびきりのバンドだったのだ。また、ラヴの初期3作はロック・アルバム制作のシステム改革を反映しており、デビュー作『ラヴ』(66年3月・全米57位)はプロデューサーにジャック・ホルツマン(エレクトラ社長)とマーク・エイブラムソン、エンジニアにブルース・ボトニック(エレクトラ専属)となっていた。これはポピュラー音楽ではプロデューサーは企画・営業、実質的なサウンド・プロデュースはエンジニアが行っていたことを示す。セカンド『ダ・カーポ』(66年11月・全米80位)もプロデューサーはポール・ロスチャイルド(エレクトラ取締役)、スーパーヴァイザーにホルツマン、エンジニアにボトニックに加えて精鋭デイヴ・ハッシンガーを外部から招く。スタッフが全員ユダヤ系の苗字なのが改めて見ると興味深い。アメリカ音楽はユダヤ人と黒人が8割、残りもイタリアやメキシコ系が優勢で純粋なアーリア系文化の音楽は輸入クラシックしかない。
 第3作『フォーエヴァー・チェンジズ』(67年11月・全米152位)で今日の概念どおり、リーダーのアーサー・リーがボトニック(エンジニア兼務)とともにプロデューサーとクレジットされる。ようやくサウンド・プロデュース担当者がプロデューサーとされるようになり、しかもバンド・リーダーによるセルフ・プロデュースだから画期的なことだが、それには66年6月発売のビートルズ『サージェント・ペパーズ』の登場が外せないだろう。ビーチ・ボーイズだけは例外的に63年9月(ビートルズアメリカ進出以前!)のサード・アルバム『サーファー・ガール』からリーダーのブライアン・ウィルソンがプロデューサーのクレジットを掲げていたが、ビーチ・ボーイズは本当に特殊な例外だった。第4作『フォー・セイル』ではプロダクション・コーディネーターにホルツマンがクレジットされているにせよ、ついにリー単独のプロデューサー・クレジットを手に入れる。

 アナログLP時代、ラヴは『フォーエヴァー・チェンジズ』が周期的に再プレスされるくらいで、再発レーベル・ライノからのベスト・アルバムがロング・セラーになっていた。これは良くできたエレクトラ時代のベスト盤でデビュー作、『ダ・カーポ』『フォーエヴァー・チェンジズ』からの名曲とアルバム未収録シングルは網羅していたが、『フォー・セイル』からは『ロバート・モンゴメリー』1曲で、しかもこの曲だけ違和感があった。ラヴの他のアルバムも中古盤でなら網を張っていれば入手できたから、ブルー・サム移籍後にエレクトラが出したオリジナルのベスト盤『ラヴ・リヴィジテッド』は『フォー・セイル』より先に入手できたが、やはり『フォー・セイル』からは『ユア・フレンド・アンドマイン~ニールズ・ソング』しか入っていない。『フォー・セイル』がすでにブルー・サムからの『アウト・ヒア』と『ファルス・スタート』のメンバーになっているのはライノ盤ベストのライナー・ノーツや、ベスト盤収録の2曲の作風からでもわかった。
 そういうネガティヴな先入観から入ったので、『フォー・セイル』を手に入れても初期3作のラヴに較べて凡庸なところばかりが気になった。ブルー・サムからの2作はもう決定的に変化している感じだが、腐ってもエレクトラ盤のラヴなのだからどうにかならなかったのか、と無念でならなかった。だが、CD化が遅れたせいで最初から良質のリマスター盤で出た『フォー・セイル』を聴き返すと、初期3作と比較せず単独で聴けば悪くない。オープナーの『オーガスト』はシャープなハード・ロックとメロディアスなフォーク・ロックが上手くブレンドされていて、アルバム全体がこのレヴェルに達していたらと惜しまれる。次作のブルー・サム移籍第1作『アウト・ヒア』は『フォー・セイル』セッションの残り曲に追加して2枚組アルバムにしたものだが、そこでも『ウィロウ・ウィロウ』『ナイス・トゥ・ビー』など、リーの曲だがブライアン・マクリーンが提供していたようなメロウな作風の佳曲があり、まだまだ余力はあったのだ。なぜかヴォーカルのダブル・トラック録音が多いのも『フォー・セイル』ではかえって逆効果になっている観もあるが、逆境にあってもこれだけのアルバムを残せたならば瑕瑾は大目に見ようという気になる。