人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

The Andrzej Trzaskowski Quintet - Synopsis (Muza, 1965)

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The Andrzej Trzaskowski Quintet - Synopsis (Muza,1965) Full Album: https://youtu.be/2FrYM8-vk7w
Recorded in January 1965, Warsaw.
Released Polskie Nagrania Muza ?XL 0258, (Polish Jazz Vol.4), 1965
(Side A)
1. Requiem Dla Scotta La Faro / Requiem For Scotty 2:45
2. Synopsis / Expression I, Expression II, Impression 18:05
3. Ballada Z Silverowska Kadencja / A Ballad With Cadence In Horace Silver's Style 1:40
(Side B)
1. Sinobrody / Bluebeard 10:15
2. Post Scriptum 2:40
3. Wariacje Na Temat "Chmiela" / "The Hop" - Jazz Variation On A Polish Folk Melody 11:00
All Composed By Andrzej Trzaskowski.
[Personnel]
Andrzej Trzaskowski - piano
Tomasz Stanko - trumpet
Janusz Muniak - alto and soprano saxophone
Jacek Ostaszewski - bass
Adam Jedrzejowski - drums

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 (Original Muza Polish Jazz Vol.4 LP Liner Cover)
 ポーランド国営レーベルMuzaのPolish JazzシリーズのVol.5が先に紹介したクシシュトフ・コメダクインテットの名盤『アスティグマティック』(65年11月録音)だが、Vol.4がコメダ(1931~1969)の盟友かつライヴァル的存在だったピアニスト、アンジェイ・トルジャスコウスキ(1933~1998)・クインテットの『シノプシス』だった。これが65年1月録音で、メンバーはトランペットのトマス・スタンコが『アスティグマティック』と重なっている。
 もしコメダの『アスティグマティック』が出なかったら、トルジャスコウスキの『シノプシス』か『セアント』(65年12月~66年録音)が60年代ポーランド・ジャズの金字塔になっていただろう。トルジャスコウスキはコメダより2歳年下だが、感覚的にはもっと若い世代に属していたと言える。

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 (Original Muza LP Side A Label)
 A1『レクイエム・フォー・スコッティ』はピアノ・トリオ曲だが、ビル・エヴァンス・トリオの初代ベーシストで交通事故で夭逝したスコット・ラファロ(1936.4~1961.7)への追悼曲で、ポーランドのみならずヨーロッパのジャズ屈指の名曲として定番のアンソロジー・ピースになっている。2分45秒という小品なのもアンソロジー向けと言える。テーマのみの演奏なのだが、この曲の大胆不敵なアイディアとオリジナリティはすごい。
 アメリカではフリー・ジャズ・レーベルのESPに『ロウエル・ダヴィッドソン・トリオ』(65年7月録音、ベースはゲイリー・ピーコック、ドラムスはミルフォード・グレイヴス)1枚だけを残したピアニストがいて、ピアノ・トリオ曲のトルジャスコウスキに近い作風だが、録音時期から見ても影響関係はないだろう。ダヴィッドソンは他にはまったく、他人のアルバムへの参加作すらないからトルジャスコウスキよりもさらに力量がとらえ難い。トルジャスコウスキのピアノ・トリオ曲はホレス・シルヴァーへのオマージュであるA3もあるが、ダヴィッドソンの作曲はトルジャスコウスキよりはずっとシンプルで、その分つかみどころがない。

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 (Original Muza LP Side B Label)
 トルジャスコウスキとダヴィッドソンにはビル・エヴァンスとともにセシル・テイラーの強い影響があり、ダヴィッドソンの場合は積極的な影響ではなくむしろテイラーからの影響から遠ざかろうとする志向が感じられるが、トルジャスコウスキは積極的にエヴァンスとテイラーを融合させた力強いスタイルを作ろうとしているように聴こえる。コメダも最新のスタイルとしてエヴァンスとテイラーに注目していたのは間違いないが、トルジャスコウスキには希薄なショパン以来の音楽国ポーランドの伝統意識の方がエヴァンスとテイラーからの影響より強かった。また、トルジャスコウスキより2歳年長というだけでもビバップからの直接の影響は世代を隔てるくらいに異なっていた。
 トルジャスコウスキに伝統意識はなかったかというと、コメダほどではないが完全に捨て去ったわけではなかった。だがB1『青髭』やB3『ポーランド民謡のジャズ・ヴァリエーション』など、わざわざポーランド伝承音楽を俎上に載せるのは、トルジャスコウスキの場合アヴァンギャルド・ジャズの手法による伝承音楽の解体に狙いがあり、コメダのようにオリジナル曲に自然に伝統的で抒情的な情感がにじみ出てくる、ということはなかった。天才的な冴えならトルジャスコウスキの『レクイエム・フォー・スコッティ』はコメダには発想できないスタイルだが、自然な情感そのものは天成のものだからトルジャスコウスキはコメダのようには訴求力に普遍性のある音楽には『シノプシス』と『セアント』では到達できなかった。

 しかし『シノプシス』と『セアント』は当時世界的に見ても最新かつ最高水準に楽々ランクされる傑作で、ポスト・バップとフリー・ジャズの折衷的スタイルとしてはウェイン・ショーターハービー・ハンコックらを一歩リードしていたとすら言える。エヴァンスとテイラーからの影響も折衷的に消化しきっていた。さらにバンドの掌握力でもコメダ以上に大胆なインプロヴィゼーションをメンバーに委ねた。A2は6/8拍子のジャズ・ロックの先駆的ナンバーだが、2管とピアノ・トリオのリズム・アンサンブルがテーマを代行しており明確なテーマが存在しない。この手法はオーネット・コールマン的ともノー・テーマのブルース的とも言え、テイラーやエヴァンスさえも使うことのある手法だが、バップ系ジャズ出身のコメダからは生まれてこないアイディアだろう。
 コメダとトルジャスコウスキの中間あたりにいたアメリカの60年代ピアニストに、アンドリュー・ヒルという人がいる。この人もオーネットやテイラーのような明解なフリー・ジャズ・スタイルには行き着かなかった人で、それが狙いだったのか上手くいかなかったからなのかよくわからない人になる。ブルー・ノート・レーベルのアーティストだったのでコメダやトルジャスコウスキよりは聴かれているだろう。アンドリュー・ヒルの初期5作はいいものだが、アメリカのジャズマンとしては衰退した作風を感じさせる分、ポーランド・ジャズの高揚を感じさせるトルジャスコウスキにはかなわない。それでも黒人ジャズならではの味わいはトルジャスコウスキにはなく、ヒルには横溢しているのだから、評価基準次第とも言える。ただし『レクイエム・フォー・スコッティ』はトルジャスコウスキにしか生み出せなかったものだ。これは白人と黒人を問わないことだろう。